外出自粛のストレスが原因?イラストに植物が極端に増えた理由
最近は秋が近づいて気候が良くなってきたこともあり、
人の動きも大分活発になってきました!
筆者は近所にある川沿いに毎朝散歩に行きますが、
特に週末はジョギングする人や散歩に出ている人で
結構賑わっています。
とはいっても、まだまだコロナ禍前のように気軽には出かけられないのが現状。
できるだけ家の中で過ごし、仕事も家からできるよう工夫しながら
一刻も早く終息を願う日々です。
終息と収束ってどう違うの?使い分け方は?
コロナに関するニュース記事を読んでいると、やたらと「終束」という言葉を
コメントしている人を見かけます。
かと思えば、「終息」もしくは「収束」というワードも出て来て
結局どれが正しいの??と、筆者困惑。
そのため、改めてささっと調べてみると
・終息:文字通り“ある物事が完全に終わる”こと
・収束:“混乱などが一旦落ち着く”こと
という意味になるようです。
ということは、恐らく「終束」という言葉はこの両者が何らかの形で
混ざってしまったがために使われていると推測され、
残念ながら「正しい言葉」としてはこの世に存在しません…
(間違ってたらすみません。日本人やり直します)
さて、そんなわけで筆者の困惑が収束したところで
次のトピックに参ります。
無意識に溜まってきている外出自粛によるストレス
最近はテレビもお笑いの方々を中心に癒やしを提供してくれる内容が増え、
ようやく安心して笑える日常に戻ってきたように感じます。
とはいえ、やっぱり「外出」に関してはまだまだ制限があるようにも感じられ
気軽に「そうだ、◯◯へ行こう!」とは言いにくい辛さもあります。
政府が「GoToキャンペーン」を実施してくれたことにより
数ヶ月前に比べたら大分出かけやすくはなっているものの、
特に県を跨いだ移動というのはまだ若干気が引けてしまう部分もあります。
旅行大好きな筆者としては辛いですが、その反面コロナがピークのときぐらいから
痛感するようになったことがありました。
それが、表題にある「植物」ひいては「自然」による恩恵だったのです。
自然の植物がもたらしてくれる癒やしの偉大さ
冒頭でもお伝えしたように、近所には幸い散歩やジョギングに適した
大きな川があったため、コロナによる外出自粛がきっかけで
健康のために毎朝川沿いに出る習慣ができました。
見るのは毎日同じ風景ですが、季節によって見られる花が違ったり
優雅に泳ぐ鳥たちに癒されたり、川の中をよくよく見ると魚がいたり
運が良ければオオサンショウウオや沢ガニなんかを見られることもありました。
コロナ禍がピークだった4月ごろは川沿いに満開の桜が咲き、
そんな自然を見ながら歩いているだけで、「平和であること」の喜びを痛感し
涙が出そうになったこともありました。
日常的にイラストを描いている筆者ですが、上記の理由から
「普段ならスルーしてしまうような雑草や木」にまで
注意深く目を凝らすようになり、そこに「自然の最大の美しさ」を感じるようになり
「絵として表現したい!」と思うようになりました。
最近ではケータイの画像はほとんど川沿いの植物や鳥たちの写真ばかりで、
描くのもそこからインスピレーションを受けたイラストが主になっていたのです。
まとめ
また今までのように気兼ねなく遠出できるようになって欲しいとは願いつつ、
日常にある自然や植物たちがもたらしてくれる癒やしや幸せがこんなにもあって
それが自分にとってどれだけ大きなものだったか。
それは忘れてはいけないことだと感じたため、
自身のイラストとして残していくこと、そしてこの記事は
その決意表明として書き記しておこうと思います。
(注:戦国時代の武士かよレベルの表現の堅さは一応自覚しております)
こんなカチコチな記事を最後まで読んでいただきありがとうございました。
コロナのストレスに打ち勝とう!