ほろすけブログ

ほろすけ的に「こうやって考えると楽になるかも」って考え方のご紹介☆

笑う夢の意味

お久しぶりです!ほろすけです。
中々続きを更新できずすみません;
(前回同様、今回も番外編の小ネタ的な内容になります)


相変わらず上がっては落ちての繰り返しですが、
最近はまた少し病み期に差し掛かり、
不安からか昨夜も中々熟睡できませんでした。


自分はよく変な夢を見るんですが、
夢の内容によっては時々夢占いをすることがあります。


テレビでよくやっているような「今日はこんな1日になる」
という占いは基本信じないのですが、
夢に関しては心理状態に関わっているんじゃないかと思っていまして、
「こういう心理状態の時にこんな夢を見がち」
という意味で、夢占いは参考にする時があります。


そんな中でも印象的だった「笑う夢」について、
今回は綴ってみたいと思います。


まずその内容ですが、舞台は祖母の家の居間でした。
登場人物は自分と祖母、従兄弟の兄、そして当時飼われていたシーズー犬。


三人で何てことない話を談笑していたところ、
突然祖母が犬に向かって強烈なデコピンをお見舞いしたのです。

一瞬その場は凍り付き、犬もフリーズしていました。が、
はっと我に返ったかのようにものすごい勢いで後ずさりをして、
壁にドン!と尻もちをついたかと思ったら
両前足でデコピンされたおでこをガバッと押さえて
痛がり、悶え、左右に転がり始めました。


そんな様子を見て大笑いする3人。


そこで目が覚めました。

なんとも鬼畜な夢ですね。

しかし当時中学生だった絶賛思春期中の自分にとっては
あまりにも可笑しくて、起きた瞬間も笑っていたと思います。


そこで目についたのが、雑誌の付録でついてきた
夢占いの小冊子。


「こんな楽しい気分になれたんだ、きっと
 良い意味があるに違いない!」


そう思ってすぐに手に取り、調べてみることにしました。

その夢占い本のルールとしては
起きてすぐ、直感で「1つ」ワードを選ぶこと
というものがあり、上記の内容で言うと
「犬」「祖母」「従兄弟」「笑う」などになります。


あいうえお順にワード別で夢の意味が書かれていて、
その中でも特に良い「吉夢」にはキラキラマーク
恋愛関係で良い意味を持つならハートマークなどがつけられていました。


この時、自分は直感でまず「犬」を調べることにしました。


まだ寝起きで余韻が残っており、ニヤニヤしながら調べていくと…

なんと「犬」というワードの横には、「凶」を意味する
爆弾マークがついていました。

 


「え???」

 


と一瞬でニヤつきが止まり、自分の目を疑いながら
意味を読み進めていくと…


「怠惰な生活を正す必要がある」とありました。

 


良い結果を期待してワクワクしてたのに。
折角楽しい夢を見て良い気分だったのに。


その両方を奪われグサッと刺された気分でした。


しかし往生際の悪い自分。
そこで「1日1つ」というルールを破ってしまいます。


「いやいやいや」と思いながら
次に引いてみたのは「笑う」という単語。

 


結果は…

 


同じく「凶」
爆弾マーク

 

 


詰んだ!!!

 


 

意味はシンプルにひと言、
「不安を誤魔化そうとしている」
でした。


もうぐうの音も出ません。


わかりました。


受け入れます。現実と向き合います。


そんな出来事でした。


しかしこれはあくまでも「占い」。
本の中にも、基本的に”幸せだと感じる夢は良い夢と捉えて良し”
のようなことは書いてありました。


また、同じ「犬の夢」でも内容によっては
また別の意味を持つこともあるようです。


反対に、悲しくて辛いと思った夢が
実は意外と良い夢だったりすることもあります。



なので、「なんでこんな夢見たんだろう?」と気になったら
一度調べてみるのもお勧めです^^


おまけ:小ネタで使える心理テスト


突然ですが、なんでも良いので
四字熟語をひとつ思い浮かべてみてください。


ポイントは、厳選せずパッと直感的に出てきたもので決めることです。



浮かびましたでしょうか?


では次に、

もう1つ別の四字熟語を浮かべてください。



決まりましたでしょうか?

 

 


では結果です。

 

 

 

 

まず1つ目は、自分の「人生観」。
そして2つ目は、「恋愛観」。


を表すのだそうです。


どんな言葉が出てきましたでしょうか?


良かったら、身近な人とのコミュニケーションや
話の小ネタに使ってみてください^^


案外盛り上がるかもしれません。


ここまで読んでいただきありがとうございました!
良い週末をお過ごしください*。

無気力すぎてとりあえず軽く調べたら思い当たることだらけだった

今晩は、ほろすけです*


最低でも週イチはブログ投稿をしようと決めたのに、
気がつけば1ヶ月も開いてしまいました…


特にここ1週間は無気力状態で、何に対してもやる気が起きず
大好きな絵を描くことでさえ気が進まない状態になっていました。


欲とかも特になく、何が食べたいとか欲しい物、見たい動画や映画…
本当に何も無く、ただただ動けずにいました。


時々起こる現象だったので、いつものように「自分がダメだから」とか
天候や気候、月経の周期の問題が色々重なってるんだろう…くらいに
捉えていたのですが、ふと「無気力」で検索をかけてみたところ
いくつか出てきた記事の内容がバッチリと当てはまっていて少し驚きました。

本当なら前回の続きを書きたいところなんですが、
もしかしたら同じような状態になってしまっている人がいるかもしれないので
シェアしておこうと思ったのと、今後自分がまた同じことにならない・
なりにくくするためにも、リマインドとして先に記録しておこうと思い
続きよりも先にこうして書き留めています。


性格上、どうしても「やらなきゃ」というタスクリストを無駄に溜めがちな傾向があって、「出来ればベター」なだけなのに、ついつい変に「できてない」に置き換えてしまい、それがストレスとしてのしかかってしまいます。


前にも、「ストレスになるくらいならタスクなんて課す必要はない」
「本当にやらなきゃいけないことならタスクリストなしでも記憶しておける」と
学んでいたんですが、ある程度時間が経ってしまうとその学んだことさえ忘れて
またどさどさと無駄に荷物を積む始末。


真面目すぎ、完璧主義、努力家、几帳面な人に出やすい“症状の一種”なんだそうです。


性格の問題だと軽く捉えていたのですが、うつ病の可能性すらあるという
お医者さんの記事を読んだらそうも思っていられなくなりました。


ネットで検索をかけて読んだお医者さんたちの記事のおかげで、
いまの時点では単純に生活習慣の乱れや環境の変化など色々なストレスが重なり
軽く無気力状態になってただけなんだ、と自覚できたので、それだけでも少し
気持ちが軽くなり、今日1日はとにかく無駄にストレスを感じないよう
意識して過ごしただけでも大分前向きになってまた元気を取り戻せました。


でも、これを「性格の問題」とか思って「なんでだろう…」のまま放っておくと
本当にうつ病とかになるかもしれない、と思うとちょっと危険だな、とも感じました。


軽い気持ちで調べたのですが、案外自分にとって重要な結果を得られたので
やっぱり早いうちに行動しておくことって大事なんだな…と再認識もしました。


本当に、ネットでの情報って薄いとも言われるけど、馬鹿にできないから
こういう環境があってつくづく良かったなと思います。
お医者さん達の記事に感謝です。


そして私のこんな記事も、もしかしてもしかしたら誰かの役に立つのかも…
そう思う瞬間があるから、中々更新が思うようにいかなくて
自分が嫌になりそうになりつつ、やめられない部分があります。


とにかく、今回は「適度に気を抜く」「無駄にストレスを感じない」と
付箋に書いて、手帳やPCの端っこといった目につくところに貼ることで
対策することにしました*


何か上手くいってない…と感じた時、自分の頭で考えることも大事ですが
それでどうしても答えが見つからなかったら、ネットで軽く調べてみると
思わぬ答えが見つかったりする。

↑もリマインドとして残しておこうと思います*

ここまで読んでいただきありがとうございました^^

前を向いて歩く

 

過去の自分を分析していてわかったこと

「承認欲求」

人間誰しも、自分のことを受け入れて褒めたり賞賛してもらえたりすると
素直に嬉しく感じたりするものだと思います。

自分もかなりネガティブなところから少しだけ前向きになったことで
改めて仕事を頑張ろうという気持ちになり、自分なりの正義を信じて
進み続けて、それが少し認めてもらえたのかな、と思った矢先
前回お話したように、飲み会で「真逆だった」と思い知りました。

人として受け入れてもらえていたからこそ、飲み会の場には
いられたんだと思いますが、それと仕事は別物で…

自分自身、「人としては好きだけど、仕事となるとものすごくやりにくい」
と思ってしまう人が周りにもいます。
そしてそれがブーメランとして自分にも突き刺さってます。

「もっとこうしてくれたらなぁ」「なんでこれができないのかなぁ?」なんていう
自分にとっては当たり前にできてしまうことだからこそ、
「できるはず」と押しつけがちになってしまう。

自分自身が「まだまだイタイ奴なんだ」という再認識をしたのは良いものの、
じゃあどこをどう改善すればそれが良くなるのか?というところに関しては
イチから教えてくれる人なんて大人になったら尚更そうそういないし、
多分いたとしても素直に受け入れられなかったり、
「なんとなくここがダメなんだ」とはわかっても
具体策はひたすら迷走するばかり。

とりあえず自分の何かがダメなのはわかった→で、どうすれば…(思考停止)
という無限ループにハマる。

バイト先の学生の子達に「癖の強い人」と思われてると知ってからは、
それまでのように強気な態度でもいられなくなり。
それからというもの、やや萎縮しがちになっていきました。

特に、嫌われたくない相手に対しては、全部を受け入れて肯定するような
返答や態度ばかり取っていたように思います。

自分としては、とにかく人を悪く言ったり見下したり否定するようなことは
一切口にしたくないという気持ちがかなり強かったがために
そんな態度になる、というのもあったのですが、今思えば
客観的に見るとそれはただの「八方美人」でした。

相手から見たら「本心では何を思ってるか分からない人」として映り、
信用しにくくさせてしまう要素にもなっていたんだろうと思います。

数年経って更に色々経験して、学んで、今となってようやく冷静に
当時の自分を自己分析できるようになってきたものの、
自分を客観視することも知らず、感情の赴くままに振る舞っていた
若かりし頃の自分には、自分の何を変えたらもっと周りと上手くいくのかが
全然わかりませんでした。

誰にも聞く耳持ってもらえない。
楽しい話題提供もできない。
特技は会話中に相手にあくびさせること。
自信がないから声も余計に小さい。
どんどんネガティブになっていく。

でも、とりあえず海外に行ってから唯一変わったことと言えば
「とにかく未来にだけは悲観しない」
というのがなぜか根拠もなくありました。

行くまでは暗い未来しか見えなかったのに。
見えなかったからこそ、決死の思いで行けたのに。

何でなんだろう?
どこでなにが変わったんだろう?

そう考えると、多分、繰り返しになるかもしれませんが
現地の人達の「楽観的な生き方」が無意識に染みついたのかもしれません。
ああ、こんな感じで生きていて良いんだ…
なんて思ったのを覚えています。

自分との対話

良い意味ですごく自己中心的でした。
休みのために仕事して。
無理なことははっきりNOと言う。
その日暮らしで、問題が起きたらその時考える。

日本にずっといて苦しかった間は、とにかく「役に立たなきゃ」
という使命感?に支配されすぎていたような気がします。

できるはずもないことを言われているのに、なぜか「NO」と言えない。
せめて「HELP」と言えば良いのに、それも怖くて言えない。
結果できなくてめちゃくちゃになって失望させて怒られる。

役に立たなきゃ、生きている意味すらない。
社会のためにできることがなければ、生きる資格がない。

ここまで言うとかなり極端ではありますが、
若くて視野が狭かった上に、性格も度が過ぎるほど真面目だったので
職場で役に立てていない自分にことさら苦しんでいたんだと思います。

役に立ちたいから頑張る、でも空回りして、イタイ奴扱いされて笑われて、
なんでだろう、なんでこんなに人のことを馬鹿にできるんだろうって
周りの態度に傷ついて、だから余計に自分は絶対人のことを悪く言うまいと
肯定的なことしか口にしないよう意識しすぎてスムーズに喋れない。
しかもそれが裏目に出て、「何考えてるのかわからない人」になってしまっている。

理解できないから当然人は離れていく。

振り返ると20代はずっとそんな感じでした。

随分苦しんだ。
自分が大嫌いで仕方がなかった。

今のところ人生大半黒歴史、です^^;

努力の仕方も、方向性も、随分間違えました。
しかしそのことに気がつくのは、また少し先の話なのでした。

結局この職場も1年ほどアルバイトとして続けたところで
もう一つ掛け持ちしていたバイト先でフルタイムでどうかとのお話をいただき
辞めることになりました。

最後にまたバイトだけの送別会を開いてくれて、
その時は何事もなく平和に終わりました。笑

そこからまたしても斜め上の方向へと
自分は突き進んでしまうことになるのですが…
続きはまた次回お話させていただきます。


ここまで読んでいただきありがとうございます。
良い週末をお過ごしください*。

職場で1番イタイ奴

「嫌われ役」


という存在が、新入社員時代に働いていた会社にはありました。
部門ごとに1人、新入社員教育の一環として敢えて決められていたようで
顔を合わせるごとに何かしら厳しいことを言われる。


私が当時当たったのは、会社の中でも1番「癖の強い人」で
以前『大嫌いから学んだこと』という記事でも紹介していましたが
とにかく苦しめられていました。(苦笑


その会社では“敢えて”そういった役割の人を決めていましたが
それとは別で、どんな職場にも必ず1人は「合わない人」がいるかと思います。


ただやりにくいだけならまだ良いのですが、癖が強ければ強いほど
顔も合わせるのも嫌になり、出勤が更に苦痛になるほどの人も…。


上記の「嫌われ役」とは違い自覚せず、あくまでも“正義感”からくる
その行為が、実は本人も知らない間に人から嫌われてしまっているという悲しい現実。


時にそれはある意味ありがたい存在でもあるかもしれません。
その人のおかげで、他の人同士が割と仲良く上手くやっていける、
仕事にメリハリがつく、のほほんとした空気になりすぎず引き締まる。


その人がいない日の平和な職場がいかに幸せかを実感できる、というのもあります。


私もそういった人に何人も会ってきましたが、
ある時衝撃的な出来事が起こります。
しかもまたしても飲み会で。


前回までの記事で書いた通り、人生最大と言えるほど病みに病んで
捨て身の覚悟で海外へ渡ったあと、渡航先で「前向きに生きる姿勢」を学び
真っ暗だった自分の人生に夢と目標を持って帰国しました。

 

前向きな姿勢

前向きに生きる


それまでずっと正社員として働いていましたが、
一旦気楽に過ごそうとフリーターに転身して
働き始めたのがレストランでの接客でした。


アルバイトという、言ってしまえば気楽な立場だったこともあり
これまでのように正社員としての責任を気負うこともなく、
「辞めたくなったら辞めればいいや」と思えていたため
仕事へ行く時のストレスが大きく変わりました。


もちろん、バイトだからといって手を抜くことはなく
逆に社員として働いているくらいの気持ちで臨んでいたため
自分で言うのも何ですが、そういった姿勢を評価してもらえたのか
社員さん達からは良くして頂けたように思います。


しかしやっぱりそこにもいました。
かなり癖の強い人が。
しかも数人。


中でも1番インパクトが強かったのが
背が高く男前で、スーツ姿が実にスマートだったAさん。

お客さんとして優しく接してもらうには
かなり喜ばれていたんじゃないかと思います。


ただ、一緒に働く身としては、やっぱり厳しいものがあり…。

シフト表が出た時にはまず真っ先に「何日くらい被っている日があって、覚悟して行かなきゃいけないか」を考えていたものです。

数人いたと言っても、他の方は癖が強いというだけで
優しく接してくれていたこともあり、シフトが被っても
特にストレスなく仕事できる程度だったのですが、
そのAさんだけはとにかく会う度何かしら嫌な事があったもので…
しかも暇さえあれば陰口や憎まれ口を叩くような人だったので、
正直心底苦手でした。


自分も性格上、愛想良く波風立てずということが上手くできずに
時には軽く対立してしまうようなこともありました。


帰国して以来、変に恐いものなしになってしまったのか
あるいは年齢的に1番厄介な尖っている時期だったのか(多分両方)
自分を抑えずに言いたいことはできるだけ言う、
要するに反抗してしまうようなことが何回かありました。


ただ、以前の職場のオーナーのように、会話が全くなくなるとか
関係性が劣悪とかそういったことはなく、機嫌が良いときは
笑い合って話せることも普通にあったため、
以前のように病むことはもうありませんでした。

アルバイトの子達はほとんどが学生さんで、
やはり若い子にとってAさんは“怖い人”として認識されてもいたようで
私としてはそんなバイトの子達を守る、ではないんですが
パイプ役として良い環境を作っていけたら、なんて意識で働いていました。


年齢は離れていましたが、バイトの子達も仲良くしてくれて
バイトだけで定期的に飲み会を開くようにもなっていきました。


渡航前には考えられなかったくらい、それだけでももう
人生が好転し始めていたように思います。


そんな矢先、事件は起こりました。


バイトだけの飲み会を開催し、しばらく楽しい時間を過ごていた時のこと。

お酒が進むにつれ、少しずつ職場での愚痴が出始めて
こういう時に1番の話題になりやすかったのがやはりAさんでした。


私はあまり大勢の中で発言することができないため、
隅で粛々と飲んだり食べたりしながら
「ああ、みんな普段はこう思っているんだなぁ」と
会話を聞いていました。


すると、1人の子がポロッと私のことを

「女版Aさん」

と口にしてしまったのです。


その瞬間、それまで賑やかだった飲み会のムードが
一瞬だけ、一瞬にして凍り付いたのをよく覚えています・・・


といってもはっきり面と向かって言われた訳ではなく、
「あれ?聞き間違いかな?」程度で若干曖昧な感じだったので
深く掘り下げることもなく、濁された感じでそのまま流れて
その後は普通に楽しい時間を再び過ごしました。


その瞬間はあまり気にしないようにしていたのですが、時間が経つにつれ
徐々に脳内で冷静に理解し、状況を把握していきました。


どうやら私以外のバイトの子たちから見て、そんなAさんに反抗する程の気の強さを持つ私も、立派な「癖の強い人」の一員だったようで…

正にタイトルからこれまでの「職場に1人はいるやりにくい人」は
全部自己紹介となってしまったわけです。


それまでは少しでも受け入れてもらえていると思っていたのが
結局は「ああ、またか…」になってしまいました。


ただそこでまたネガティブに考えて塞ぎ込んでも仕方がないし、
むしろ「気づかせてくれてありがとう」でした。
それに、仮に義理として仲良くしてくれていたのだったのしても
楽しく過ごせたのは紛れもない事実なので、それだけでももう
感謝しかなく、そして気を使わせてごめんなさい、と思っています。


なんせその当時は「自分がくせ者である」という自覚がなかったので…
仲良くできていると思っていたのも、もちろん全てが嘘とかでは
ないのですが、ほとんどが「機嫌を損ねないための愛想笑い」
だったのかもしれません。


ちょっと調子が良くなると、すぐ自分のことが見えなくなり。
優しくしてくれることを、変に勘違いしてしまっていた気がします。


大人になったつもりだったけど、まだまだ甘かったなぁ、と。
それは今でも同じで、年齢は重ねているものの
見る人から見れば子供なわけで。


ネガティブにはならないように、自分を否定しないように、
でも変な勘違いはしないように。


そういったコントロールを覚えていくにはまだ時間がかかり、
その飲み会以降も「イタイ奴認定」の自覚はしたものの
人間そう簡単に変われることもなく。


なんせどう態度を変えれば良いかわからないので、
自分のイメージする「聖人のような良い人像」や
「あんな人になりたい」という憧れはあっても
それを自分がしてしまうとただの気持ち悪い奴になってしまうし…


自分らしく生きるというのは難しい。
この頃の自分はまだ、「自分を上手くコントロールする術」
というのを良く知らず、感じたままに表現するのが正しいものだ
と勘違いをしていたように思います。


前向きになってはこれたものの、自分で自分を好きになれない。
なんで私はこうなんだ。

そんな葛藤を常に抱えながらも、まだまだ奮闘の日々は続きます。
ここまで読んでくださりありがとうございました*。

思い切って旅立った結果

全てを捨てる勢いで。

ここで自分の全てが終わっても何一つ後悔はないという覚悟で。

現地の言葉もろくに話せず、知り合いも誰1人いない異国の地へと旅立った自分。

今思えば、とんでもなく無茶でした。

いつどこで危ない目に遭っていてもおかしくなく、
実際に危険な出来事もいくつかありました。

それでも、あの時の自分にとってはそれが人生を後悔しない唯一の選択肢でした。

無事に帰って来られたのも、今現在こうして生きていられるのも
ただの偶然、ラッキーでしかない。

でも当時はそんな有り難みすらどうでも良く、ただただ生きるのが辛かった。

だから最後に、悔いの無いようにやりたいことをやっておこう。

それが、海外へ飛び立つことでした。

結果論にはなりますが、そんな無茶な選択も
今となってはなくてはならないものでした。

絶望の淵にいた自分の人生観は、その渡航先で大きく変えられることになります。


現地で出会った人達は、正に自分のために自由に生きていました。
休みのために働いて。
無理はせず、できないものはできないとしっかり意見を主張する。

友達や家族、恋人と食事をしながら会話をすることを
1日の1番の楽しみにしている。

私が渡った異国の地は、ヨーロッパのとある所だったのですが
二十歳の時に一度だけ旅行で行ったことがあり、
それ以来すっかり憧れて、いつかまた行けたら…と夢見ていました。

でもそう夢見ながらも、本当に行けるとは思っていませんでした。
実現させようと思っていなかった、と言う方が正しいかもしれません。

それが、「人生の最後にやるなら何か?」という
若干大げさなくらいの勢いがあって初めて
実現へと動き始めました。

仕事を辞めたあと、あの場から離れられたというだけでも
随分と気持ちが軽くなり、勢いで決めたとはいえ
そこから「またあの地へ行けるんだ」と思うだけでも
日常の世界が大きく違って見えていた気がします。

飛行機に乗ることさえ慣れずに緊張していたものの、
着陸間際に上空からあの日本では見られないような大地を
再び目にした瞬間の感動は、何年も経った今でも覚えています。

日本にいる間に代理店の手伝いを借りてビザを取得し、
1ヶ月だけ通うための学校とホームステイ先を手配してもらいました。

そこから先は自分次第。
ワーキングホリデービザだったので、仕事やホームステイ後に住む場所は
全部自分で探さなくてはいけません。

とりあえず学校とホームステイで1ヶ月間過ごせる保証はあったため、
あとは肝心の仕事がちゃんと決まるかどうかで
その先いられるかも決まるという状況でした。

これもまた日本にいる間に、インターネットや知り合いの紹介を通じて
現地に着いてから面接をしてもらえるお店をいくつか見つけてあったので
着いてからまずは学校とホームステイが始まり、
また面接もすぐにしてもらい、そのまま即決してもらえて
無事ワーホリ生活のスタートは切れました。

しかし…


まずホームステイ先では母親ほどの年齢の女性が一人暮らしで、
また学校のクラスは自分を含めて多い時でも10人程度という小規模で
出会った人達はみんなとても良い方だったのですが、
私が言葉をほとんど喋れない上に引っ込み思案な性格だったこともあり
家や学校ではコミュニケーションが上手く取れず…

仕事は全員日本人の日本食レストランだったのですが
そこでもやはり難ありな自分の性格が原因で
周りと上手く接することができず、苦しむ場面が多々ありました。

やっぱりどこへ行っても、自分が自分である以上
何も上手くいかないのか…


そんなネガティブな感情に引き続き悩まされたりもしていたのですが、
とはいえそこは異国の地。

日本にはない建物や公園、景色や人々など
目に入るあらゆるものが新鮮で、ちょっと外へ出て歩けば
そんなネガティブな気持ちも一瞬で吹き飛ぶくらい
とにかく刺激的な生活を送っていました。

人間関係も、慣れてくるにつれ周りとも親しくなって
職場の仲間とはプライベートで遊びに行ったり
ネットを通じて新しい友達ができたりもして
徐々に楽しさで溢れていきました。

そこへ行く直前まで考えられなかった環境の激変に
幸せを実感する毎日で、先のことなんかもどうでも良くなりました。

とりあえず、今という時間をただただ楽しもう。
そんな気持ちが日増しに強くなっていきました。

先のことを考えた上で今を楽しめるのが1番なのは理解していたのですが
当時の自分に見えていた未来はとにかく真っ暗で、孤独で…
希望の光なんて一ミリもなかったので、
考える価値すらないと思っていました。

そんな自分を周りから否定されるのがとにかく怖くて
その恐怖心からか、本当は気が弱いくせに
無駄に攻撃的かつ高圧的な態度を取ってしまったり。

自分の意見がそもそもないから、主張をしようにも
逆ギレみたいな態度になったり。
その反面、周りの人達がみんなしっかりしているように見えて
周りが言うことを鵜呑みにして、よく考えもせず
それが正しいんだ、なんて思い込んだりもしていました。

「なんでここへ来たのか」「今後どうしていくつもりなのか」という質問は
日常の会話で当たり前にあることだと思いますが、
当時の自分はそういった“自分のこと”を聞かれるのがとても怖かったのです。

人生に絶望して、もうどうでも良くなったから
最後に悔いのないようにと思ってここへ来た、
なんて言い方でしか、自分を表現できませんでした。

要は同情を誘うことでしか、自分を理解してもらえる方法がわからなかったのです。

自信がなくなると、そうやって負のオーラを全開にして
「私可哀想でしょ、だからこれ以上はもう攻撃しないでね」
というアピールを無意識にしていたのだと思います。

かと思えば、調子が良い時は人が変わったかのように偉そうな物言いで振る舞う…

そんな最低で面倒な人間から、離れていく人も少なくありませんでした。

自分でもそんな自分をいつまで経っても好きになれなかったし
客観的に自分が見えていないから、「何で私が話し始めると
誰も聞く耳持たなくなるのか?」「空気が凍ったようになるのか?」
「時には空気同然の存在になってしまうのか」…
よく起こるその現象の原因が、その時はまるで分かりませんでした。

とりあえず自分の何かが悪いんだな、と思わざるを得なかったにしても
じゃあ何をどうすればそれが改善されるのか。
当時を振り返ると、”気にしているだけ“で
ちゃんと考えるということができていなかったし、
勿論その答えをわざわざ教えてくれる人もいません。

自分で考えて、答えを出して、少しずつでも改善していくしかなかった。
でもそれをやっているつもりでも、なぜか空回り。

そんな自分に嫌気が差しながらも、気長に優しく付き合ってくれる人は
少なからずいたので、それがせめてもの救いでした。

そのおかげで、とにかくこれまでとは全く違う日常を
ひたすら楽しむことはできていました。

逃げだろうが無茶だろうが、思い切って出て来て本当に良かった。

身の程を痛感しながらも、前向きに新しい人生観を得て
自分をもっと大事にすることを学んで、そうしているうちに
ちょっとずつ次の目標や夢が見えてきました。

安全な道を歩み続けられればそれが1番かもしれない。
でも、危険だと思って渡ってみた橋も、
渡ってみれば意外と何とかなる。
そういったこともわかってきました。

そんな1年間を過ごして、無事にまた日本に帰ってきました。

100%安全な保証なんてどこにもないし、
いつ自分の人生が終わるのかもわからない。

だったら、周りに正しく評価されることを基準に生きるよりも
時には何もかも自分の都合の良いように考えて、
「自分は何をすれば自分を幸せにできるのか?」
を念頭に置いて選択してみれば
あんなに辛かった毎日も、結構楽しくなってくる。

もう他人中心に考えるのはやめて、良い意味で自己中に生きよう。

そんな捉え方ができるようになっただけでも、大きな一歩だったと思います。

「山ほど失敗したけど、挑戦し続けて良かった。」
そう思える人生にしよう。

そこでできた新しい目標は、また別の国へワーホリに行くこと。
そこでできた夢は、自分のお店を開くこと。

叶えられるかどうかはともかく、夢と目標ができただけでも充分でした。
そうして帰国した私は、また新たな一歩を踏み出します。

どん底だった人生は、ここから少しずつ少しずつ好転してはいくのですが…
まだまだやらかした話は続きます。苦笑


ここまで読んでくださり、ありがとうございました*。

人生のどん底にいたときの話(後編)

働き始めてから約1年後、精神的に継続が難しいと判断し
オーナーとの話し合いで辞めたいことを伝え、条件付き
(前向きな理由を見つけること、新しい人が見つかるまでは続けること)で
なんとか了承をもらい、その時は大分気が楽になっていました。

それから求人の張り紙を出し、情報誌でも掲載してもらうなどして
動き始めたところまでは良かったものの…

中々応募してくれる人は現れず、稀に面接があったりもしましたが
採用までには至らずで、一向に新しい人が決まる気配はありませんでした。

前向きな理由を必要とされたのは、
「辞めてしまうというのは残念だしできれば思い留まって欲しいけど
 辞めさせないことはできないから、せめて気持ち良く送り出したい」
「今の内容(精神的にあまりにも辛いから辞めたいこと)では
 良く知ってくれているお客さんに説明ができない」
との理由からでした。

確かにマイナスな理由だけを置いて辞めるのは申し訳ないと
自分でも思ったため、色々と考えた結果

「自分の人生に悔いのないように、せめて唯一の憧れだった
 海外にだけは行っておこう」

との考えに至り、それをオーナーにも伝えました。

あとは新しい人が入って続けてもらえそうかをお互いに判断するのみ、
だったのですが…

当時浅はかな自分は、「きっと募集すればすぐに誰かしら来てくれるだろう」と
軽く考えていました。

ところが、待てど暮らせど全然来ない…。

また、オーナーとの関係性も、マイナスな理由で辞めたいと言ったことから
前より更に無機質になり、ただただお互いに「そこにいるだけ」
のような感じになってしまいました。

自分はというと、それでも「辞めたい」と伝えきった部分から
気持ち的には以前より随分マシになったため、とにかく良い人が来てくれる瞬間を
ひたすら待ち続けるのみでした。

まさかそれが、1年以上も続くなんて夢にも思わず。

1年もあるとやはり何事もなく穏やかに、とはいかないもので
時には絶望感にまみれておかしな行動を取ってしまうこともありました。

営業後、夜遅くに説教を受け、片付けが終わらない店内に一人取り残され
「全部終わらせてから帰れ」と言い残し、オーナーが帰ってしまったことも。

思い返すと、あの時が1番精神状態が酷かったように思います。

「ああ、もう無理だ」と放心状態になり、「消えたい」とオーナーにメールを送って
当時一人で暮らしていた家まで普通に帰り、翌朝オーナーより前に出勤すると
片付け残してしまった物が整理されていたのを見て、
メールを見て戻って来たんだと認識しました。

はっきり言って、本当に自分は狂っていたと思います。

若かったし相手にも否はある、と主張したいのは山々ですが
それと同じくらい相手にも嫌な想いや不快にさせたことに関しては
何年も経った今でも申し訳なく思っています。

自分に関わらせてしまってごめんなさい、と。

親にも散々申し訳なく思ってよく泣いていました。
生まれてきてごめんなさい、
こんな私でごめんなさい、と。

そんな酷い状態の日々がひたすら続いた約1年後、
応募したいと言う1人の若い女性が現れました。

大学を卒業した後、少しの社会経験はあったものの
レストランでの勤務経験はなく、それでも将来的に飲食店の経営を
考えているとのことで、正社員としての雇用を希望して来てくれました。

経験がないなりに、色々と危なっかしい場面はあったものの
真面目で誠実に、一生懸命頑張ってくれていました。

そんな彼女の姿を見て、ようやく希望の光が見えたような気がしました。

本人も続けていきたいと言ってくれたことでやっと私も辞められる日が決まり、
それまでの限られたごく僅かな日数の中でできるだけ伝えられることを
伝えました。

働き始めてから約3年、晴れてそのレストランでの勤務を終えて
私は夢だった海外へと旅立ちました。

そこはその当時から更に5年ほど前に1度訪れたきりで
ずっと憧れていた土地だったので、また行ける日が来るなんて
思ってもみなかった場所でした。

そのため、再度現地での暮らしが始まった時には
幸福感でいっぱいでした。

現地の人々は毎日をいかに楽しむかに全力投球していて、
世間体なんかよりも自分の好きなことだけを考えて
自由に暮らしているように見えて、その影響で
随分と人生観が変わったような気がします。

そうして約1年ほど過ごし、かなりプラスの方向に考えることができるようになり
新たな目標も見つかったため、出発前とは打って変わって
元気いっぱいに帰国しました。

もっと自分自身を大事にしよう。
こんな私だけど、自分の人生を楽しんで良いんだ。
そんな気持ちで帰ってくることができました。

あの店を辞めてから、1年と数ヶ月。
正直どうなったのか少し気になってはいたのですが、
一切の接触を断っていました。

オーナーはともかく、入ってくれた子は大丈夫だろうか…と思いながらも
新しい職場を探し、新たに働き始めました。

それから少しして、オーナーから連絡が入りました。

「戻って来てくれないか」

と。

あのあと入って来てくれた子はサービスとしてとても通用しない、
休みも増やすし昇給も考えるから、と。

そんな感じの内容でした。

そう、あの店で働いていた期間、私の給料が上がることは
一円たりともありませんでした。

売り上げが伸びない、昇給させてあげたい気持ちはあるが
正直それだけの働きがまだ認められない。
そんな理由からだったと思います。

ともかく、それは働いている間に欲しかった提案であって
もう既に戻る気持ちは微塵もなかったので、
既に新しい場所で働き始めてしまった、と断りを入れました。

折角前向きになって帰って来られたとはいえ
じゃあまたそのお店でイチから頑張れるか、と言われたら
間違ってもイエスとは言えませんでした。

気持ちが前向きになったというだけで、たかが1年。
やはりまだまだ自分は自分。
戻ったところで元通りになってしまうことは目に見えていました。

もちろん、新しい環境に移ったところで上手くいくかはわかりません。
それでも、少しでもより希望が感じられる所へ行ってみたい。
そう思って、再スタートを切りました。

私の後に入ってくれた彼女も最終的には辞めてしまったと
あとあと小耳に挟みました。

それからどうなっているのかは、もうさっぱり分かりません。

私はというと、その後も山ほど失敗して、周りに迷惑をかけながら
自分に嫌気が差しながら、必死に自分の居場所を探すように
あちこち転々としてしまうことが続きました。

そうしながら少しずつ、少しずつ私の人生は好転していきました。

その都度「なんで自分はいつもこうなってしまうんだろう?」
「どうすれば上手くいくんだろう?」と
自問自答を繰り返しながら。

周りに嫌われるような言動ばかりして
離れていってしまった人もたくさんいましたが、
本当に最近になってようやく「生きていて良かった」と
心から思える日々になりました。

今は良かったことも悪かったことも全部含めて
感謝の気持ちが常にあり、後悔なんかはありません。

書き始めた勢いで長々と自分語りしてしまいましたが、
これだけのことを思い出してみて改めて当時のことを反省し、
またこんな自分とずっと付き合ってくれている家族や友達、
職場の方々の存在が有り難く思えて身に染みます。

そして現地の言葉もほとんど喋れないまま渡った海外ですが
プラス思考になって帰って来られたとは言え、そこでも色々と
やらかしてしまったのです…

次回はそこらへんをもう少し掘り下げてお話してみようかと思います。

拙い文章を最後まで読んで頂きありがとうございました*。

人生のどん底にいたときの話(前編)

もう、自分の人生なんてどうでもいい。

生まれてしまってごめんなさい。

あの頃の自分の頭の中は、そんな言葉で埋め尽くされていました。

精神状態は、人生最悪と言えるほど。

職場であるレストランに来たお客さんから心配されるほど、
ものすごく暗い表情で仕事をする日々を送っていました。

終わりの見えない苦しみに支配されて、まともな思考ができていなかったように思います。

今回は、そんな自分の全てに絶望して、
最後に悔いのないように海外へ行こう!と決意するまでの経緯をお話ししてみようと思います。

当時、レストランでオーナーシェフと2人、
サービスとして働いていた私。

そのレストランに入る前はまた別のレストランで1年働いていましたが、
そこでは調理補助からサービスに皿洗いや雑用までマルチにこなす周りに対して
私はサービスしかやってこなかった上、皿洗いや雑用もまともに役に立てなかったため
オーナーに毎日怒られまくり、最終的には無視されるようになってしまいました。

労働時間は1日15時間で休憩良くて1時間、休憩無しも珍しくなく
休みは週1、全然足りない。

そんな過酷な労働で周りの足手まといにしかなれず、心身共にボロボロになり
やむなく退職することに。

正直なところ、自分で言うのもなんですが、能力的にも人間性にも難ありでした。

しかしくよくよしてばかりいられない。
気持ちを新たに、今度こそ!と新しい環境へ移ったものの…

結局自分は自分。

またしてもオーナーと上手くいかず、日に日に関係は悪化していきました。

若かったために最初のうちこそ「周りが厳しすぎるんじゃないか」なんて
周りのせいにもしていましたが、ここまで何度も失敗すると
流石に「自分がいかにダメか」を思い知るしかなく…
次第に自分に絶望し、悪感情に埋め尽くされる日々になっていきました。

最初はやる気と希望に溢れていたはずなのに、
頑張ろうとすればするほど空回り。

なんで自分はこうなんだろう?
いつからこんなにしんどくなってしまったんだろう?

いっそのこと消えてしまえたら楽になれるのに…。

オーナーと意見が合わず、譲れない部分があると
それを押し殺して上手く接するということができず、
我を通そうとして間違った言動を取ってしまっていた若かりし頃の自分。

「頑張り方を間違えている」と言われても、何をどう改善すればいいのかわからず、
どんどんズレていき、自分を否定されまくる日々に逆戻り。

今でこそ、もっとこうするべきだった、とか、
相手はこういうことが伝えたかったんだろう、と思える部分や反省点、改善点は見えてきますが
視野が狭すぎたその当時は、ただただ全てに嫌気が差して、苦しいだけでした。

労働時間も前の店とほぼ同じでしたが、前のお店は繁盛していたがために
あっという間に1日が終わっていくのに対し
そのレストランは正直人気店とかではなく、1日お客さんゼロの日も珍しくはなく
基本的にはシェフであるオーナーとサービスの私だけで回し、忙しい時には
バイトの子に来てもらう程度でした。

そのため1日の過ぎる時間が非常に長く、オーナーは毎日口癖のように
「今日もダメだ」「お客さんこないなぁ」とボヤき、
人通りの少ない店の前で呼込みのため店の前にひたすら立ち続けて1日が終わる。
そんな毎日の繰り返しでした。

「お客さんに来てもらうためにはどうしたらいいか考えて」
と常に問われるも、「お金は1円もかけるな」的なスタンスだったため
提案はしても「難しい」「いくらかかるか分かってる?」等
一生懸命考えても神経すり減るような返答ばかり。

そうは言いつつも、自分ももちろん貢献したい気持ちはあったため
何か良い方法は…と常に考えて探し続けていました。

そんな中、「ああ、もうダメだ」と思ってしまった出来事が起こりました。
と言っても、ほんの些細なことですが…

私が「外から中が見える窓(横50cm、縦1mほど)から
ガラガラの状態が見えてしまうため、少し透けて見える程度のカフェカーテンなど
つけるのはどうか」と提案するも、オーナーからは「買うのはNG」と即却下。

「お金をかけないって難しい…」なんて呑気に考えていましたが
そのやり取りから数日後、ある女性のお客さんがランチタイムに現れます。

食事を終えて会計を済ませ(オーナーが対応)
そのままオーナーと話し始めたその女性。

同じくご自身で飲食店を経営しているらしく、通じるところがあったようで
どうすればもっと人を呼べるお店にできるか、で話が弾んでいました。

そのうちに、その女性からも「誰も入ってないって状態が外から丸見えだから、
隠したほうが良いのでは?」と提案されていました。
横で片付けをしながら(あ、同じこと思う人やっぱりいるんだな)と思いながら聞いていた自分。

するとそのオーナーは「あー、なるほど!」と納得した様子で意見を聞き入れていました。

そしてその女性が店を出たあと、私は心の中で(私と同じことを言ってたけど、この人何て言うんだろう…)と思っていると

当てつけるかのように私に向かって

「やっぱりああいう人の意見は参考になるなー!」

と。


なんだかその瞬間、全てを悟ったような気持ちになりました。

ああ、この人が今まで私の意見を聞き入れなかったのは、私の意見がダメとか使えないからとかそんなことよりも
「そもそも“私の意見”そのものを受け入れたくなかったからなんじゃないか」
と。

恐らくこれは人間関係で非常に良くあることじゃないかなと思うのですが、
“相手のことが嫌い過ぎて、正しいことを言っていたとしても受け入れたくない”
(自分の意見が本当に役に立たなかっただけかもしれませんが^^;)
この気持ちが大いに働いていたようにしか、私にはもう見えませんでした。

そして、

「もう何を言っても無駄だ」

とすら思ってしまいました。

そうなると、最早そのお店のために何ができるかなんて
虚しすぎて考えられなくなってしまいました。
もちろんその1件が全てではなく、長い期間で積み重なったものが
それをきっかけに崩れたような、そんな感覚だったと思います。

見る人から見たら「なんだそんなぐらい」なのかもしれません。
実際当時の自分にも、うまく相手と接することができない自分に対して
「だったらもっとこうすれば良いのに」みたいな声が、どこからともなく聞こえていました。

でも、それができない。
できないから、苦しい。

できない自分がだめなんだ。自分なんて大嫌いだ。消えるしかないじゃんもう、となって
負の感情にひたすら支配されていきました。

元々1人で抱え込む性格というのもあり、自分のこの状況を誰かに吐き出すこともできませんでした。

親や友人との関係性が悪かったわけでは決してありません。

でも、県を跨いで離れて暮らしていたこともあり
たまにしか連絡を取らない相手に対して、「愚痴や悩みを聞いてもらう」ことが
心苦しく、また「そんなことも自分で解決できないのか」なんていう声も
どこからともなく聞こえてきていました。

ただでさえ日々否定されて自信を失っているときに、
更なる否定で逃げ場を失ったらどうしよう。
そんな不安がSOSを出せなくしていたようにも思います。

そうしてひたすら自分を追い込んでいくうちに、自分でも訳がわからない行動を取るようになりました。

コンビニでふと目に入ったタバコを買ってみたり。
ストレスを緩和しようと、自分の身体を傷つけていたり。
結局吸うこともなかったけど、ただポケットにタバコとライターを所持だけしてみたり。
この頃はスピリチュアル的なことにもどっぷりハマっていたような覚えがあります。

そんな訳のわからない行動が、当時の自分の生きる術であり、ストレス緩和の唯一の手段でした。
それまでは全然理解できなかった「自分の身体を傷つける」という行為は
その時初めて「妙な安心感」があるということを知りました。

オーナーとの会話も、ほぼ1日ないことも珍しくなくなっていき
「ああ、まただ…」
と自分自身にうんざり。

そんな日々に耐えきれなくなった、ある休みの日。
藁にもすがる思いで近所の精神科医を訪れていました。

先生にひと通り自分の現状と気持ちを話し、
これはうつ病ではないか?また、何かしらの薬はもらえるのか?など相談しました。

すると、先生からはこんな言葉が返ってきました。

「とりあえずいまの段階でうつ病かどうかを判断することはできない。ただね…
 
 そんな環境にいたら誰でも病むって!!」

と。力いっぱい言われました。

それを言われた瞬間に、なぜか自分の気持ちが軽くなったのを覚えています。

「ああ、自分が人としてダメすぎるからじゃないんだ…」

と思えたからです。

自分の弱さを指摘されるだけかもしれない。
メンタルが弱すぎるために病気になっているかもしれない。

そんな「自分が悪いせいでこうなっている」という不安の中話していたこともあり、
先生のそのひと言は自分としては思いがけないものでした。

そのあとは、私が強く要望したこともあり、先生からは若干渋られましたが
「一応」という形で精神安定剤を出してもらいました。
ただ、薬を飲むよりも、もう少し休養を取って、労働環境を改善する方向で
考えた方が良いよ、とアドバイスをいただきました。

薬は本当に最終手段として考えて、的な言われ方だったと思います。

そうして仕事中のポケットの中は、煙草から精神安定剤に代わりました。
(それも結局1回服用しただけに終わりましたが…)

そんな状態で仕事を続けていたところで、根本的な解決にはなってないため
簡単に改善などされるはずはありません。

そんな矢先、ほぼ全くといって良いほど会話のなかったオーナーから
話し合う機会を設けたいとの申し出がありました。

私はその時、自分の話を聞いてもらえるんだと思っていました。

そのため、意志を固めて、そこで辞めることを告げようと決意しました。
簡単に辞めるなんて決断はしたくなかったけれど、いまの自分の現状はもうそれ以上の働きはできない。
自分のための最善策かは正直わかりませんでしたが、このままダラダラ続けるよりは
お互いのためになるだろうと思いました。

そうしていざ話し合いが始まりました。

ところが、自分の話を聞いてもらえると思っていた予想は外れて
オーナーからは一方的に自分の希望(給料上げたいけどそれだけの頑張りがまだ足りないこと、
しばらく頑張って売り上げに繋げていこう、貢献して欲しい等)だけを伝えられて
これからもよろしく!と笑顔で締めようとするだけで、私がどういう気持ちで働いているかなんてことは
微塵も聞き取ろうとしませんでした。

正直私はここまでお互いにギャップがあったことに驚きました。

あんなに関係性が悪かったのに、相手は上手くいっていると思っていたのか
私の顔色の悪さ(お客さんにすら指摘されるくらいだったのに)や目が死んでいることには
全然気づいていなかったようでした。

いまの状況をどう思うか、どんな気持ちで働いているのかという
ヒアリングをしてもらえるんじゃないかという私の考えは
残念ながら非常に甘かったみたいです。

そのため、私が「辞めたい」と告げ、自分がどんな気持ちでいたのかを語っていく時は
ショックを受けたような、「まさかそんな」という表情をしていました。

しかしともかく、辞めることに関しては相手は承諾せざるを得ません。
ただ、私が「辛すぎる」ことを理由に辞めようとしたため、そこにはいくつかの条件を出されました。

前向きな理由を見つけること。
そして、新しい人が見つかるまではいること。

とりあえずはそれで「辞められるんだ」と思った安心感から自分も納得し、了承しました。

そこからまた更なる苦悩の日々が始まるとも知らず…。

すみません、長くなってしまったので一旦区切ります;