ほろすけブログ

ほろすけ的に「こうやって考えると楽になるかも」って考え方のご紹介☆

人生のどん底にいたときの話(前編)

もう、自分の人生なんてどうでもいい。

生まれてしまってごめんなさい。

あの頃の自分の頭の中は、そんな言葉で埋め尽くされていました。

精神状態は、人生最悪と言えるほど。

職場であるレストランに来たお客さんから心配されるほど、
ものすごく暗い表情で仕事をする日々を送っていました。

終わりの見えない苦しみに支配されて、まともな思考ができていなかったように思います。

今回は、そんな自分の全てに絶望して、
最後に悔いのないように海外へ行こう!と決意するまでの経緯をお話ししてみようと思います。

当時、レストランでオーナーシェフと2人、
サービスとして働いていた私。

そのレストランに入る前はまた別のレストランで1年働いていましたが、
そこでは調理補助からサービスに皿洗いや雑用までマルチにこなす周りに対して
私はサービスしかやってこなかった上、皿洗いや雑用もまともに役に立てなかったため
オーナーに毎日怒られまくり、最終的には無視されるようになってしまいました。

労働時間は1日15時間で休憩良くて1時間、休憩無しも珍しくなく
休みは週1、全然足りない。

そんな過酷な労働で周りの足手まといにしかなれず、心身共にボロボロになり
やむなく退職することに。

正直なところ、自分で言うのもなんですが、能力的にも人間性にも難ありでした。

しかしくよくよしてばかりいられない。
気持ちを新たに、今度こそ!と新しい環境へ移ったものの…

結局自分は自分。

またしてもオーナーと上手くいかず、日に日に関係は悪化していきました。

若かったために最初のうちこそ「周りが厳しすぎるんじゃないか」なんて
周りのせいにもしていましたが、ここまで何度も失敗すると
流石に「自分がいかにダメか」を思い知るしかなく…
次第に自分に絶望し、悪感情に埋め尽くされる日々になっていきました。

最初はやる気と希望に溢れていたはずなのに、
頑張ろうとすればするほど空回り。

なんで自分はこうなんだろう?
いつからこんなにしんどくなってしまったんだろう?

いっそのこと消えてしまえたら楽になれるのに…。

オーナーと意見が合わず、譲れない部分があると
それを押し殺して上手く接するということができず、
我を通そうとして間違った言動を取ってしまっていた若かりし頃の自分。

「頑張り方を間違えている」と言われても、何をどう改善すればいいのかわからず、
どんどんズレていき、自分を否定されまくる日々に逆戻り。

今でこそ、もっとこうするべきだった、とか、
相手はこういうことが伝えたかったんだろう、と思える部分や反省点、改善点は見えてきますが
視野が狭すぎたその当時は、ただただ全てに嫌気が差して、苦しいだけでした。

労働時間も前の店とほぼ同じでしたが、前のお店は繁盛していたがために
あっという間に1日が終わっていくのに対し
そのレストランは正直人気店とかではなく、1日お客さんゼロの日も珍しくはなく
基本的にはシェフであるオーナーとサービスの私だけで回し、忙しい時には
バイトの子に来てもらう程度でした。

そのため1日の過ぎる時間が非常に長く、オーナーは毎日口癖のように
「今日もダメだ」「お客さんこないなぁ」とボヤき、
人通りの少ない店の前で呼込みのため店の前にひたすら立ち続けて1日が終わる。
そんな毎日の繰り返しでした。

「お客さんに来てもらうためにはどうしたらいいか考えて」
と常に問われるも、「お金は1円もかけるな」的なスタンスだったため
提案はしても「難しい」「いくらかかるか分かってる?」等
一生懸命考えても神経すり減るような返答ばかり。

そうは言いつつも、自分ももちろん貢献したい気持ちはあったため
何か良い方法は…と常に考えて探し続けていました。

そんな中、「ああ、もうダメだ」と思ってしまった出来事が起こりました。
と言っても、ほんの些細なことですが…

私が「外から中が見える窓(横50cm、縦1mほど)から
ガラガラの状態が見えてしまうため、少し透けて見える程度のカフェカーテンなど
つけるのはどうか」と提案するも、オーナーからは「買うのはNG」と即却下。

「お金をかけないって難しい…」なんて呑気に考えていましたが
そのやり取りから数日後、ある女性のお客さんがランチタイムに現れます。

食事を終えて会計を済ませ(オーナーが対応)
そのままオーナーと話し始めたその女性。

同じくご自身で飲食店を経営しているらしく、通じるところがあったようで
どうすればもっと人を呼べるお店にできるか、で話が弾んでいました。

そのうちに、その女性からも「誰も入ってないって状態が外から丸見えだから、
隠したほうが良いのでは?」と提案されていました。
横で片付けをしながら(あ、同じこと思う人やっぱりいるんだな)と思いながら聞いていた自分。

するとそのオーナーは「あー、なるほど!」と納得した様子で意見を聞き入れていました。

そしてその女性が店を出たあと、私は心の中で(私と同じことを言ってたけど、この人何て言うんだろう…)と思っていると

当てつけるかのように私に向かって

「やっぱりああいう人の意見は参考になるなー!」

と。


なんだかその瞬間、全てを悟ったような気持ちになりました。

ああ、この人が今まで私の意見を聞き入れなかったのは、私の意見がダメとか使えないからとかそんなことよりも
「そもそも“私の意見”そのものを受け入れたくなかったからなんじゃないか」
と。

恐らくこれは人間関係で非常に良くあることじゃないかなと思うのですが、
“相手のことが嫌い過ぎて、正しいことを言っていたとしても受け入れたくない”
(自分の意見が本当に役に立たなかっただけかもしれませんが^^;)
この気持ちが大いに働いていたようにしか、私にはもう見えませんでした。

そして、

「もう何を言っても無駄だ」

とすら思ってしまいました。

そうなると、最早そのお店のために何ができるかなんて
虚しすぎて考えられなくなってしまいました。
もちろんその1件が全てではなく、長い期間で積み重なったものが
それをきっかけに崩れたような、そんな感覚だったと思います。

見る人から見たら「なんだそんなぐらい」なのかもしれません。
実際当時の自分にも、うまく相手と接することができない自分に対して
「だったらもっとこうすれば良いのに」みたいな声が、どこからともなく聞こえていました。

でも、それができない。
できないから、苦しい。

できない自分がだめなんだ。自分なんて大嫌いだ。消えるしかないじゃんもう、となって
負の感情にひたすら支配されていきました。

元々1人で抱え込む性格というのもあり、自分のこの状況を誰かに吐き出すこともできませんでした。

親や友人との関係性が悪かったわけでは決してありません。

でも、県を跨いで離れて暮らしていたこともあり
たまにしか連絡を取らない相手に対して、「愚痴や悩みを聞いてもらう」ことが
心苦しく、また「そんなことも自分で解決できないのか」なんていう声も
どこからともなく聞こえてきていました。

ただでさえ日々否定されて自信を失っているときに、
更なる否定で逃げ場を失ったらどうしよう。
そんな不安がSOSを出せなくしていたようにも思います。

そうしてひたすら自分を追い込んでいくうちに、自分でも訳がわからない行動を取るようになりました。

コンビニでふと目に入ったタバコを買ってみたり。
ストレスを緩和しようと、自分の身体を傷つけていたり。
結局吸うこともなかったけど、ただポケットにタバコとライターを所持だけしてみたり。
この頃はスピリチュアル的なことにもどっぷりハマっていたような覚えがあります。

そんな訳のわからない行動が、当時の自分の生きる術であり、ストレス緩和の唯一の手段でした。
それまでは全然理解できなかった「自分の身体を傷つける」という行為は
その時初めて「妙な安心感」があるということを知りました。

オーナーとの会話も、ほぼ1日ないことも珍しくなくなっていき
「ああ、まただ…」
と自分自身にうんざり。

そんな日々に耐えきれなくなった、ある休みの日。
藁にもすがる思いで近所の精神科医を訪れていました。

先生にひと通り自分の現状と気持ちを話し、
これはうつ病ではないか?また、何かしらの薬はもらえるのか?など相談しました。

すると、先生からはこんな言葉が返ってきました。

「とりあえずいまの段階でうつ病かどうかを判断することはできない。ただね…
 
 そんな環境にいたら誰でも病むって!!」

と。力いっぱい言われました。

それを言われた瞬間に、なぜか自分の気持ちが軽くなったのを覚えています。

「ああ、自分が人としてダメすぎるからじゃないんだ…」

と思えたからです。

自分の弱さを指摘されるだけかもしれない。
メンタルが弱すぎるために病気になっているかもしれない。

そんな「自分が悪いせいでこうなっている」という不安の中話していたこともあり、
先生のそのひと言は自分としては思いがけないものでした。

そのあとは、私が強く要望したこともあり、先生からは若干渋られましたが
「一応」という形で精神安定剤を出してもらいました。
ただ、薬を飲むよりも、もう少し休養を取って、労働環境を改善する方向で
考えた方が良いよ、とアドバイスをいただきました。

薬は本当に最終手段として考えて、的な言われ方だったと思います。

そうして仕事中のポケットの中は、煙草から精神安定剤に代わりました。
(それも結局1回服用しただけに終わりましたが…)

そんな状態で仕事を続けていたところで、根本的な解決にはなってないため
簡単に改善などされるはずはありません。

そんな矢先、ほぼ全くといって良いほど会話のなかったオーナーから
話し合う機会を設けたいとの申し出がありました。

私はその時、自分の話を聞いてもらえるんだと思っていました。

そのため、意志を固めて、そこで辞めることを告げようと決意しました。
簡単に辞めるなんて決断はしたくなかったけれど、いまの自分の現状はもうそれ以上の働きはできない。
自分のための最善策かは正直わかりませんでしたが、このままダラダラ続けるよりは
お互いのためになるだろうと思いました。

そうしていざ話し合いが始まりました。

ところが、自分の話を聞いてもらえると思っていた予想は外れて
オーナーからは一方的に自分の希望(給料上げたいけどそれだけの頑張りがまだ足りないこと、
しばらく頑張って売り上げに繋げていこう、貢献して欲しい等)だけを伝えられて
これからもよろしく!と笑顔で締めようとするだけで、私がどういう気持ちで働いているかなんてことは
微塵も聞き取ろうとしませんでした。

正直私はここまでお互いにギャップがあったことに驚きました。

あんなに関係性が悪かったのに、相手は上手くいっていると思っていたのか
私の顔色の悪さ(お客さんにすら指摘されるくらいだったのに)や目が死んでいることには
全然気づいていなかったようでした。

いまの状況をどう思うか、どんな気持ちで働いているのかという
ヒアリングをしてもらえるんじゃないかという私の考えは
残念ながら非常に甘かったみたいです。

そのため、私が「辞めたい」と告げ、自分がどんな気持ちでいたのかを語っていく時は
ショックを受けたような、「まさかそんな」という表情をしていました。

しかしともかく、辞めることに関しては相手は承諾せざるを得ません。
ただ、私が「辛すぎる」ことを理由に辞めようとしたため、そこにはいくつかの条件を出されました。

前向きな理由を見つけること。
そして、新しい人が見つかるまではいること。

とりあえずはそれで「辞められるんだ」と思った安心感から自分も納得し、了承しました。

そこからまた更なる苦悩の日々が始まるとも知らず…。

すみません、長くなってしまったので一旦区切ります;