ほろすけブログ

ほろすけ的に「こうやって考えると楽になるかも」って考え方のご紹介☆

人生のどん底にいたときの話(後編)

働き始めてから約1年後、精神的に継続が難しいと判断し
オーナーとの話し合いで辞めたいことを伝え、条件付き
(前向きな理由を見つけること、新しい人が見つかるまでは続けること)で
なんとか了承をもらい、その時は大分気が楽になっていました。

それから求人の張り紙を出し、情報誌でも掲載してもらうなどして
動き始めたところまでは良かったものの…

中々応募してくれる人は現れず、稀に面接があったりもしましたが
採用までには至らずで、一向に新しい人が決まる気配はありませんでした。

前向きな理由を必要とされたのは、
「辞めてしまうというのは残念だしできれば思い留まって欲しいけど
 辞めさせないことはできないから、せめて気持ち良く送り出したい」
「今の内容(精神的にあまりにも辛いから辞めたいこと)では
 良く知ってくれているお客さんに説明ができない」
との理由からでした。

確かにマイナスな理由だけを置いて辞めるのは申し訳ないと
自分でも思ったため、色々と考えた結果

「自分の人生に悔いのないように、せめて唯一の憧れだった
 海外にだけは行っておこう」

との考えに至り、それをオーナーにも伝えました。

あとは新しい人が入って続けてもらえそうかをお互いに判断するのみ、
だったのですが…

当時浅はかな自分は、「きっと募集すればすぐに誰かしら来てくれるだろう」と
軽く考えていました。

ところが、待てど暮らせど全然来ない…。

また、オーナーとの関係性も、マイナスな理由で辞めたいと言ったことから
前より更に無機質になり、ただただお互いに「そこにいるだけ」
のような感じになってしまいました。

自分はというと、それでも「辞めたい」と伝えきった部分から
気持ち的には以前より随分マシになったため、とにかく良い人が来てくれる瞬間を
ひたすら待ち続けるのみでした。

まさかそれが、1年以上も続くなんて夢にも思わず。

1年もあるとやはり何事もなく穏やかに、とはいかないもので
時には絶望感にまみれておかしな行動を取ってしまうこともありました。

営業後、夜遅くに説教を受け、片付けが終わらない店内に一人取り残され
「全部終わらせてから帰れ」と言い残し、オーナーが帰ってしまったことも。

思い返すと、あの時が1番精神状態が酷かったように思います。

「ああ、もう無理だ」と放心状態になり、「消えたい」とオーナーにメールを送って
当時一人で暮らしていた家まで普通に帰り、翌朝オーナーより前に出勤すると
片付け残してしまった物が整理されていたのを見て、
メールを見て戻って来たんだと認識しました。

はっきり言って、本当に自分は狂っていたと思います。

若かったし相手にも否はある、と主張したいのは山々ですが
それと同じくらい相手にも嫌な想いや不快にさせたことに関しては
何年も経った今でも申し訳なく思っています。

自分に関わらせてしまってごめんなさい、と。

親にも散々申し訳なく思ってよく泣いていました。
生まれてきてごめんなさい、
こんな私でごめんなさい、と。

そんな酷い状態の日々がひたすら続いた約1年後、
応募したいと言う1人の若い女性が現れました。

大学を卒業した後、少しの社会経験はあったものの
レストランでの勤務経験はなく、それでも将来的に飲食店の経営を
考えているとのことで、正社員としての雇用を希望して来てくれました。

経験がないなりに、色々と危なっかしい場面はあったものの
真面目で誠実に、一生懸命頑張ってくれていました。

そんな彼女の姿を見て、ようやく希望の光が見えたような気がしました。

本人も続けていきたいと言ってくれたことでやっと私も辞められる日が決まり、
それまでの限られたごく僅かな日数の中でできるだけ伝えられることを
伝えました。

働き始めてから約3年、晴れてそのレストランでの勤務を終えて
私は夢だった海外へと旅立ちました。

そこはその当時から更に5年ほど前に1度訪れたきりで
ずっと憧れていた土地だったので、また行ける日が来るなんて
思ってもみなかった場所でした。

そのため、再度現地での暮らしが始まった時には
幸福感でいっぱいでした。

現地の人々は毎日をいかに楽しむかに全力投球していて、
世間体なんかよりも自分の好きなことだけを考えて
自由に暮らしているように見えて、その影響で
随分と人生観が変わったような気がします。

そうして約1年ほど過ごし、かなりプラスの方向に考えることができるようになり
新たな目標も見つかったため、出発前とは打って変わって
元気いっぱいに帰国しました。

もっと自分自身を大事にしよう。
こんな私だけど、自分の人生を楽しんで良いんだ。
そんな気持ちで帰ってくることができました。

あの店を辞めてから、1年と数ヶ月。
正直どうなったのか少し気になってはいたのですが、
一切の接触を断っていました。

オーナーはともかく、入ってくれた子は大丈夫だろうか…と思いながらも
新しい職場を探し、新たに働き始めました。

それから少しして、オーナーから連絡が入りました。

「戻って来てくれないか」

と。

あのあと入って来てくれた子はサービスとしてとても通用しない、
休みも増やすし昇給も考えるから、と。

そんな感じの内容でした。

そう、あの店で働いていた期間、私の給料が上がることは
一円たりともありませんでした。

売り上げが伸びない、昇給させてあげたい気持ちはあるが
正直それだけの働きがまだ認められない。
そんな理由からだったと思います。

ともかく、それは働いている間に欲しかった提案であって
もう既に戻る気持ちは微塵もなかったので、
既に新しい場所で働き始めてしまった、と断りを入れました。

折角前向きになって帰って来られたとはいえ
じゃあまたそのお店でイチから頑張れるか、と言われたら
間違ってもイエスとは言えませんでした。

気持ちが前向きになったというだけで、たかが1年。
やはりまだまだ自分は自分。
戻ったところで元通りになってしまうことは目に見えていました。

もちろん、新しい環境に移ったところで上手くいくかはわかりません。
それでも、少しでもより希望が感じられる所へ行ってみたい。
そう思って、再スタートを切りました。

私の後に入ってくれた彼女も最終的には辞めてしまったと
あとあと小耳に挟みました。

それからどうなっているのかは、もうさっぱり分かりません。

私はというと、その後も山ほど失敗して、周りに迷惑をかけながら
自分に嫌気が差しながら、必死に自分の居場所を探すように
あちこち転々としてしまうことが続きました。

そうしながら少しずつ、少しずつ私の人生は好転していきました。

その都度「なんで自分はいつもこうなってしまうんだろう?」
「どうすれば上手くいくんだろう?」と
自問自答を繰り返しながら。

周りに嫌われるような言動ばかりして
離れていってしまった人もたくさんいましたが、
本当に最近になってようやく「生きていて良かった」と
心から思える日々になりました。

今は良かったことも悪かったことも全部含めて
感謝の気持ちが常にあり、後悔なんかはありません。

書き始めた勢いで長々と自分語りしてしまいましたが、
これだけのことを思い出してみて改めて当時のことを反省し、
またこんな自分とずっと付き合ってくれている家族や友達、
職場の方々の存在が有り難く思えて身に染みます。

そして現地の言葉もほとんど喋れないまま渡った海外ですが
プラス思考になって帰って来られたとは言え、そこでも色々と
やらかしてしまったのです…

次回はそこらへんをもう少し掘り下げてお話してみようかと思います。

拙い文章を最後まで読んで頂きありがとうございました*。