ほろすけブログ

ほろすけ的に「こうやって考えると楽になるかも」って考え方のご紹介☆

影響を受けすぎる前に!知っておきたい「自分らしさ」とは何かということ

今晩は!ほろすけです。


憧れの人がいると、ついついその人を意識して
言動や生活スタイルを真似したり、といった影響を受けることが多々あります。

 

また、どうして良いかわからなくなった時でも
「あの人だったらどう考えるだろう?」
「どんな決断をするだろう?」と
自分が迷った時の指標にもなったり、将来の目標設定の参考にさせてもらったり。


しかし、いまの情報過多なネット社会。
憧れる人が多すぎると、自分自身を見失うこともよくあります。


結局自分はどうなりたんだろう?」と。


世間や自分の周りが進み過ぎていて、遅れることに異様に敏感になったり
実際に身の回りにいる人から否定されて「自分なんて…」と落ち込んだり。


特に、憧れている人と自分を悪い意味で比較してしまうと
それは危険な方向へ向かってしまいます。

それに比べて自分と来たら…
この人はこんなに恵まれてるのに、なんで自分はこうなんだろう…(闇)


こんな風に、ナメクジのようにジメジメした考え方をし始めると
どんどん悪い方向へ向かってしまいます。


そのため、まずは自分自身をよく知っておくことが大切だと、筆者は考えます。

自分らしさとは何かを知る方法とは?

これは以前の記事でもいくつか紹介させていただいたものですが、
まずは自分を客観視してみることをお勧めします。


「自分がどうなりたいか」と「現状の自分」とのギャップを
日記や映像などを通じてしっかり分析することで自覚し、
「どうすればそのギャップを埋められるのか?」を考える。


なりたい自分をイメージトレーニングでできるところまで具体的にイメージして
形からでも変えられる部分から変えていく。


理想とかけ離れ過ぎているからといって、落ち込む必要は一切ありません。

 


また、周りにいる人からの影響も注意が必要です。
特に悪口や陰口ばかり言う人からは、極力距離を置いて
できるだけ早く遠ざかりたいものです。


しかし仕事となると中々そうはいかないことも多いため、
そこは割り切って聞き手に徹し、同調は避けたほうが良いでしょう。


また反対に、自分がキラキラした友人やグループの中にいるからといって、
必ずしも「類友」とは限りません。


◯◯戦隊△△レンジャー!のように、1つのグループの輪の中にも
それぞれに役割があるはずだ、と筆者は考えています。


そんな筆者は、かつて主役のレッドになりたかった。
でも、客観的に見た時の自分の役割は、そこじゃなかった。

長い時間かけて自覚したのは、自分の社会における役割は
光を支える陰だということでした。


(戦隊ものの色のイメージ的にはでありたい。)


自分の役割に気づかせてくれた様々な出来事

なぜそれに気づけたか。
そこに至るまでには、多くの要素がありました。

要素その①:友人からの言葉

自分ではあまり自覚していなかったことですが、友人からはよく
「癒やし系だ」と言ってもらえていました。

そういった周りからの褒め言葉に対して、裏を掻いたりせず素直に受け止めてみると、また自分らしさに1歩近づけるかもしれません。


要素その②:好きな物を知る

自分がこれまでに好きで集めてきたものが、家や自分の部屋の中にたくさんある。
そこに通じる1つの要素に気がついたら、それが人生の目的である可能性も高いです。


その要素に気づく方法としては、改めてそれを見て何を感じるか?という部分です。
「楽しい」「ワクワク」なのか、「元気が出る」「力が湧く」なのか、
「落ち着く」「癒される」なのか。


その中でも自分が何よりも強く感じる要素をひたすら探ってみることで、
自分らしさを知るきっかけになるかもしれません。


要素その③:仕事


筆者の場合、接客業が好きで長いこと続けてきました。
中でも一番職歴として長いのが、レストランでのサービスです。


元々は人と接するのが大の苦手で、その苦手を克服すべく選んだのですが
初めて働いた職場がホテルのレストランだったこともあり、そこにいた先輩達が
ま~ぁとにかくキラッキラして見えたものです。


制服はカッコイイし、そもそも容姿も端麗の美男美女が多いし、
そんな人達と一緒に働ける自分幸せ!な状態でした。


そんなどうでもいい想い出話はさておき、長いことサービスを続けてきて感じたのは
料理の善し悪しの最終的な決め手となるのが自分達の仕事であるということでした。


どんなに一流のシェフが作った美味しい料理も、サービスである自分が
お客さんに対して不快な思いをさせるような態度や行動を取ってしまえば
台無しになる恐れもあるくらい、重要な役割である。そのことを
プロである先輩方を間近で見て思い知りました。


しかし、当時新入社員だった自分はもちろん下っ端中の下っ端です。
最前線に立ってお客さんに心地良い空間を演出する先輩方を支えるべく
とにかく厨房とホールを行き来してバタバタしては粗相をして怒られまくり…
初めての正社員としての経験だったこともあり、メンタルも涙も毎日ボロボロ。


そんな中、筆者は先輩の一流のサービスを目の当たりにしました。


お客さんから「サービスが良いね」と褒められた時に
先輩が返した言葉。それは、


「彼ら(下っ端である私たちのこと)が良い働きをしてくれるので」


………



(涙腺崩壊)

 

 


同じ職場の先輩でも、中には何もかも自分の手柄のように言う人もいました。
そんな中、必死に頑張る自分達をちゃんと見てくれている人がいる。


自分が最前線に立ってお客さんと話せるまでにはまだまだ時間がかかる、
カッコ良くサービスする先輩達にはまだまだ到底遠いけれど、
そうやって「役に立ててる」と思えるだけでも幸せを感じる


そういう意味でも、自分は主役のレッドにならなくても
誰かがそうやって喜んでる姿を見られるだけでも
充分幸せを感じるんだと気がつきました。

自分との対話を大切に


自分を認めてくれる誰かと一緒にいる、人と話をする時間も
あればもちろん安心しますし楽しいですが、何よりも忘れたくないのは
自分自身を本当に大切にできているかという部分ではないでしょうか。


「周りはこうなのに自分は違う」=不幸 ではなく、
「尊敬する人から間違いを指摘された」=自分はダメだ でもありません。
また、どんなに立派に見える大人でも、間違えることはあります。
反対に、苦手意識を持つ相手でも、正しく指摘してくれることもあります。


そんな数多くの周りの意見や刺激を上手く取り入れて、なりたい自分にとって
何が必要な要素なのかを毎日自問自答する。


それを繰り返すことで、1日ほんの少しずつでも本来の自分らしさを知り、
なりたい自分に近づいていきましょう。

哲学好きさんと繋がりたい

今日初めて自分の思考回路がものすごく哲学的なんだと自覚しました。


こんにちは!ほろすけです。


前にも「日記を書く習慣が長いこと続いている」ことに何度か触れてきましたが、自分で不思議に感じるくらいとことん考え抜くことが好きな性質があり、一度日記に手を着けると時間を忘れてただひたすらに綴っています。


以前は大学ノートに手書きスタイルで、ノートの場合はページで区切られるため
まだキリがつけやすかったものの、Wordに切り替えてからはそれが難しくなりエンドレスで書き続けてしまうことも…


また、1回で答えが出ない、あるいは一度「こうだ」と思った事も、またすぐに「あれ、でもこの場合はどうなるんだ?」という疑問が生じたりして、そこから改めて考え直す、といった止まらない自分の思考回路。


自分でも「不便だな」とか「もっと気軽に考えていけたら楽なのに」と感じたりもしますが、結局はそれが自分なんだなと半ば諦め気味に受け入れてきました。


そしてその延長線上に、このブログ開設がありました。


「もうどうせだからこれまでに気づいたことや考えてきたことをある程度レポート的にまとめていこう」。そんな目的も含めてこのブログを継続し、現在に至ります。


とにかく「そもそも論」が自分の中で後を絶たず、一時期は忘れられてももう習慣として身についているので、気づけば何かしらについてとことん考え抜くということの繰り返し。


そしてそれが哲学的な思考をしてるからなんだと自覚したのが今日、という…
最早そんな遠回りも我が人生、です。


しかしそうやって気づいてみると、今までに「自分が考えて出した答え」があるのが嬉しかったり、周りにも伝えたいがために相手が引いていたり面倒臭いと思われていようとも構わず語りたがったりすることで、それが煙たがられて結果人間関係上手くいかなかった部分も多々あったのかな、と思います。


今後も恐らく止めることはできませんが、自覚できた分まだネタとして伝えることさえできれば、その分聞き手への負担は少しでも減らせるかな、と。そう信じます。


直接的では聞き手にとってうんざりすることでも、こうやってブログとして発信する分には「こいつめんどくせ」ってなった時点で離れられるわけなので、人様への迷惑は最小限に抑えつつ、聞いてくれる人にはとことん聞いてもらえる形が取れる。

且つ、もしかしたら何かしらのリアクションがもらえる可能性もある。そう思えるから、このブログは止められずに今も続けているんだなと思います。


ただ、ブログとはいえ「自分の話を聞いてもらう」ことに変わりはないため、それがまた文章の固さにも繋がり、新たな課題として考えてしまうわけなのですが…


以前、人生の恩師からも「あんたカタすぎ」とのご指摘や、友人からも「良くも悪くも丁寧すぎ」と言われたりするため、どうカバーすればそれが改善されるのか。そういった課題は後を絶ちません。


今までも、筆者は何かにつけて「その行為をする意味」の本質的な部分に納得ができないとその作業に対するストレスや苦痛がとにかく大きく、自分をも苦しめていました。


ただ、「何か意味がある」とその時点ではわからなくても直感的に感じられるものがあれば、とりあえず続けてみることで、ゆくゆくはその本質的な部分に自分で納得できたりもするため、気づけた時にようやく「やり続けて良かった」と思うことも多々ありました。


自分にとっては正解でも、人様にとってはそうじゃない。人それぞれで良い。
自分の価値観を相手に押しつけるのではなく、それぞれの価値観を理解し合う。


多くの人にとって一番納得のいく形や答えをみんなで話し合って追究して、
その輪の中にいるリーダーが最終的に決断を下す。

 
そんなより良い社会づくりを目指すべく、(自称)哲学者ほろすけ、これからも考え続ける所存にございます。

ただの減量にあらず!ダイエット習慣から得られた恩恵ベスト3

こんにちは!ほろすけです。


自粛の生活が始まって極端に運動量が減ったことにより
一気に5キロも増えてしまった、去年の春。


そこから頑張って体重を落とそうと、ようやく人生で初めての本格的なダイエットをスタートした筆者でありましたが
年齢的なこともあってか、増えるのは一瞬だったのに全然減ってくれない我が体重。


ライ◯ップ的優れたコーチがいてくれたら恐らくもっと早く結果が出たり
正しい方法というのを教えてもらえていたかもしれません。が、
自己流で続けているためそう上手くは進みません。


しかし「やり方が悪い」せいにするとモチベーションが下がるので
あくまで「年齢的に落ちにくい」せいにして、とにかく継続だけはなんとかしてきました。


そこから早8ヶ月。
ようやく5キロ落とすことができました。


この数字をどう捉えられるかは恐らく人それぞれかと思います。
「8ヶ月でたったの5キロ?!」と思われるのか、あるいはその逆か。


ダイエットを始めた当初の筆者だったら、「え、たったの5キロ?」と言っていたと思います。

なんせ始めて4日で「全然体重変わらない」なんて挫折しかかっていたような人間ですから…(自分に嘲笑)


しかしここまで続けてみて、色々と学べたことがあったので
これからダイエットを始めようかと考えている方に、少しでも参考になればと
その内容をシェアしてみようと思います。


体重の減量ではなかったダイエットの目的


これまで筆者は、「ダイエットは減量すること」だとしか捉えていませんでした。そのため、始めた当初は「3ヶ月で5キロくらい落とせたらいいかな」ぐらいの安易な設定をしていました。


そしてまず始めようと思ったのはとにかく運動量を増やすことでしたが、そうはいっても当時は1回目の自粛期間まっただ中。
とても気軽に外へ出られる状況ではなかったため、
室内でできるエクササイズから取りかかりました。


しかし腹筋や腕立て・スクワットなどの筋トレは、ただただ続かない…。
そんな中YouTubeで見つけたのが、竹脇まりなさんの「音楽に合わせた筋トレやエクササイズ」の動画でした。


これがとにかく楽しくて、紹介されている色んな動画を見ては筆者に合っている内容を色々試し、好きな内容で続けながら慣れたら少しずつ負荷を増やしていく。
そんな形でかれこれ8ヶ月継続してこれたため、この方の動画に出会えて本当に良かったと思っています。


エクササイズの他にもとにかくたくさんの情報を提供してくださっているので、ダイエットを始めようと考えているけどこの方のことはまだ知らない、という方にはぜひ一度チェックしてみることをお勧めします。


さて、そんな形で始まった運動習慣ですが、それと同時に毎日体重計に乗って記録もしていました。
しかし自分の中では運動しているつもりでも、数字は正直なもので
全く減らないどころか増えていき、ゾリゾリに削がれるモチベーション。


それもそのはず、当時の自分は筋トレのカラクリも知らなかったのです。


そのカラクリとは、筋トレをすることによって筋肉がつき始めると、その分最初は体重が増えていく、というもので、ごく自然な現象だったのです。


また、自分が使っていた体重計の機能もただ「体重を量る物」としか認識していませんでしたが
ダイエットをきっかけに、家族に「筋肉量や体脂肪率も測れる優れ物」だったということを教えてもらい、初めて正しい使い方を知りました。


この「筋肉量と体脂肪率」が測れるという部分、筆者的にはかなり大きかったです。


体重こそ変わらない・あるいは思うように減ってはくれないものの、筋肉量が増えて体脂肪率が減っていることがわかったため、「エクササイズをやっている意味があったんだ!」とそこでようやく救われて、希望が持てるようになり、継続にも繋がりました。


また、色々とネットで情報収集をしていく中で、こんなコメントを見つけました。
ダイエットは一生モノだからとにかく根気良く続ければいつか必ず成果は出る」


この教訓はかなり大きかったです。コメントを世に出してくださった通りすがりのお侍様、本当にありがとうございます。


この「楽しく続けられるエクササイズ」と「筋肉量・体脂肪率も測れる体重計」、そして「ダイエットは一生モノ」の教えにより、8ヶ月経った今も尚ダイエット習慣が維持できています。

そしてダイエットとは減量することではなく、食事や体重を通じて
自分自身の健康を管理することだという真の目的も、今回初めて学びました。


ダイエット習慣から得られた3つの恩恵


何度も挫折しそうになりながらも、一時期は体重計に乗ることをやめて
ひたすら継続にフォーカスしたこともあり、「とにかく続けられている」ことに関しては素直に自分を褒め称え、またそれが自信にも繋がりました。


この「継続する力がついた」ことがまず1つ、そして「そこから自信が持てるようになった」のが2つ目の恩恵です。


また、簡単に成果が出なかったのも、今となっては良かったと思っています。
「なんでだろう?」と自問自答し、分析と改善を繰り返す。
このPDCAサイクルが、ダイエット習慣により自然と身につき
この感覚は多方面で活かされているように実感しています。


この「上手くいかないことに関して必死に考え改善し、再度実行に移す」感覚が身についたこと
これが何よりも大きいダイエット習慣から得られた恩恵のように思います。


まだまだ目標体重に届くまでには時間がかかりそうではありますが、あくまでも楽しみながら、自分の健康を管理していこうと思います。

幸せを感じるためにしたい自問自答|生きる目的の見つけ方

こんにちは!ほろすけです。


冬って寂しい。
太陽はあまり出てこないし、草木は枯れてるし、寒いし、夜は長いし…
筆者的には一年で一番ネガティブになりがちな季節です。


そのため、こういう時期は敢えてニュースをあまり見ないようにしています。
必要最低限の情報収集は必要ですが、ざっと見てプラス思考になれそうにない内容からは
できるだけ早く遠ざかるようにしています。

現実逃避と言われてしまうとそれまでですが、それで暗い内容と向き合いすぎて自分がしんどくなるくらいなら
いっそのこと遮断して前向きになった方が、よっぽど自分のためにも周りの人のためにもなるように思います。


情報過多な現代社会だからこそ、一旦退いて、その分自己対話を深める時間に充てる。
ただ、その自己対話が自分をネガティブにしてしまっては本末転倒です。


そこで、あくまでも幸せに繋げるための自問自答を考えてみました。
お時間があればぜひ試してみてください。


幸せを感じるためにお勧めな自問自答


・好きな食べ物は何ですか?
・好きな動物は何ですか?
・好きな曲は何ですか?
・好きな色は?
・えっと、ご趣味は?


上記以外にも、飲み物・景色・植物・映画・漫画・お笑い芸人・テレビ番組・本etc...

一度ケータイを置いて、テレビを消して、できるだけ「好きな物」についてや「前向きになれる」方向性での自問自答をしてみましょう。

特に食べ物や飲み物、音楽など「毎日触れる物」については、はっきり自覚するだけでなく
例えば「ワインにはチーズ」「冬は鍋」「コーヒーにはクッキー」のように
掛け算的に、「これをプラスするとより良い」要素を加えていくのもお勧めです。


ちなみにここからは筆者の身の上話になります。お時間ある方はよろしければお付き合いください。
「興味ねーよ」って方は、次のトピックへどうぞ。

以前、とある英会話動画の中で、こんなセリフが出てきました。


「Beer, Pizza, TV... paradise!!」


なんてことない一言ですが、筆者はこのワンシーン、とくに「パラダイス」の部分が大好きで
常にその感覚を追究・意識するようになり、それがより多くの幸せに繋がっていったように思います。


特に食べ物に関しては、例えば
・その時一番強く「食べたい!」と思う物を食べる
・その食べ物に合う飲み物や付け合わせを考える
が原則で、更に欲を言えば「その美味しさを分かち合える人との時間の共有」がベストですが
それが難しい場合は、「大好きなお笑い芸人さんの動画」を見たり
テレビ番組(特にバラエティ)を見る、といった環境をできるだけ整えて食べることで
最高潮にその時間が幸せになります。


また今の時代有り難いのが、コンビニのご飯やスーパーのお惣菜の美味しいこと美味しいこと。
自炊が一番ではありますが、忙しくてそれどころではないことも多い現代社会。
気持ちや体力的に余裕がない場合には、何よりも強い味方です。
そんなサービスを提供し続けてくださる方々には頭が上がりません。
この場を借りて感謝申し上げます。


また、「笑う」というのも健康には良いと聞いたことがあります。
友達や家族とビデオ通話したり、好きな芸人さんの動画を見たり。


以前他の記事でも触れましたが、筆者は明石家さんまさんが大好きで、さんまさんの番組をよく見ます。
また名言も多いため、笑える上に人生のバイブルにもなり
もはや神として崇め奉るレベルのお方だと思っています。


さて、美味しい楽しいご飯を堪能したあとは、リラックスタイムです。
好きな音楽を聴きながら、コーヒーや紅茶、ハーブティーなどを飲む。
あるいは日記を書いたりして、気持ちをスッキリさせたり頭の中を整理したりするのも良いかもしれません。


また、冬だからこそ堪能できるものとしては「お風呂」もあります。
浴槽に浸かる、そこに好きな入浴剤を入れたり雰囲気を出すための照明を用意したり
100円ショップで買ってきた造花を飾る、近所迷惑にならない程度に音楽を聴く、なんていう過ごし方もできます。
(あまりに心地良くなりすぎて寝て溺れないようにだけはくれぐれもご注意を…)


以上、身の上話にお付き合いいただきありがとうございました。
少しでも参考になる部分があれば幸いです。


生きる目的を見つけるための自問自答


例えば、なりたかった職業があるとします。
それに対して、「なぜその職業を選んだか?」
その「なぜ?」をひたすら繰り返してみてください。
あくまでも「なりたかった」が重要です。

ここでまたさんまさんの言葉を引用させていただくのですが、以前とある芸人さんがSNSで炎上していた時のことです。


炎上した詳細は忘れてしまいましたが、読んだ人をわざと怒らせるような煽り方でツイートする、いわゆる「炎上商法」です。
その際に、そのことについてさんまさんは

少しでも笑わせたいと思ってこの仕事(お笑い)やってるのに
 人を怒らせてまで知名度を上げるっていうことが理解できない」

的なことを仰られていました。


これを聞いた時に、筆者は勝手に「さんまさんの人生の目的はこの“少しでも笑わせたい”なのではないか」と分析しました。


島田紳助さんも以前テレビで「こいつ(さんまさん)はお笑い以外興味無いねん」と証言されていたり、他にもプライベートでも常に人を笑わせることばかりしている、といった話をよく聞くように、「仕事だから」ではないのだと推察することができます。


笑わせることを目的として、生きている
それがきっと、さんまさんご自身の幸せにも繋がっているのではないでしょうか。


まとめ


「自分は何のために生きているのか」
その答えは、自分の中にしかありません。


自分の幸せとは何か?を追究し続ける。
それが1つでも多く見つけられたら、それだけでもう幸せな瞬間が1つ増えたことになります。


「1つもない」と思われていたら、今からでも全く遅くはありません。1つでも多く「好きな物」「幸せを感じる瞬間」を増やすための自問自答を始めてみてください。

自分を客観視するのに有効的な3つの方法

こんにちは!ほろすけです。


これまでに日記を通じて自分を客観視することについて
ブログで綴ってきましたが、他にもいくつか有効的な方法があったのを
思い出したので、今回はまとめてご紹介していきたいと思います!


そもそも自分を客観的に見るメリットとは?


日記を通じて初めて自分を客観視することができた筆者ですが、
ありのままの自分を受け入れるというのはそう簡単ではありませんでした。


特に若い時なんかは、根拠もなく自分自身を過大評価していたために
「自分は大したことないんだ」とか「性格が悪いのかも…」と気になり出すと
余計にそれを受け入れるのが怖くなり、結果時間がかかり、また勇気もいりました。


周りばかり良く見えて、劣等感から自分を守るのに必死になりすぎて
間違った行動を取ってしまったり、自分を良く見せようとしたのが逆効果になって
変な言動を起こしたり。


軌道修正する方法も知らず、そこからどんどん「変な子」(と思い込む)としての
自分が形成されていったように思います。


自分が何か発言すると、周りの人が不思議そうな顔をしたり、ニヤニヤされたり、
自分の発言をそもそも聞いてももらえなかったり、喋っているのに
誰も聞いていなかったり…(悲しみのどつぼ)


でもその原因が何なのかもわからないし、指摘してくれる人もいない。
そんな自分に有効的だったのが、これからご紹介する3つの「客観視する方法」でした。


これをすることによって、周りからどう見られているかが少しでも知れる分
意識さえすれば改善できることが多々あります。


これを進めていったことにより、以前より周りが自分の声に耳を傾けてくれるようになったり
共感してくたり、といった明らかな変化が現れ始めました。


これは決して自分の悪いところを直して“周りに合わせる”ということではなく、
自分の良さを大事にしながら、でも「こんな自分になりたい」という
あくまでもただただプラスの目標に向かうためのイチ手段に過ぎません。


良さをそのまま残しつつ、直せる部分は直す。そしてどうしても改善が難しい部分は
どうカバーすべきかを考える、要するに「自分をより良くする=幸せにする」ため
自分を研究し分析するためのツールとして捉えていただければ幸いです。


間違っても、「自分はなんてダメなんだ」という方向には向かわないでください。


客観視に有効的だった3つの方法その1:日記


既に他の記事でも言及したように、まず一番始めやすく簡単だったのが日記でした。

ここで大事なのは、「よそ行きの自分」はそこらへんに座らせて休ませておき、
ありのままの自分の気持ちを正直に綴ることです。
「こんな性格悪いこと書くの嫌だ」とか気にする必要はありません。
愚痴があるなら思い切り書いてスッキリしてしまいましょう。


筆者としては、人間である以上誰の中にも善と悪、天使と悪魔、神様とピッコロ、アンパンマンとバイキンマンの
両面が存在すると考えています。

既に分かっている方にとっては「何を今更」的なことかと思いますが、若かりし頃の自分には
「良いか悪いか」の両極端な考えしかありませんでした。


だからこそ、愚痴ばかり書いている自分は「ただの性格悪い奴」としか思えず
それが余計に自分を苦しめていたように思います。


ただ単に「コントロールする術」を知らない、自分を良く知らないだけで、
もっと生きやすくなる方法があったのに、これまでの自分は
良く言えばただただまっすぐに、悪く言えば身の程もわきまえずに
それでいて人には偉そうな物言いをしてしまう(大恥)という生き方をしてきたがために
無駄に苦労することも多かったように思います。


もっとも、そういうイタイ時期を乗り越えて、自分を受け入れられるようになったからこそ
現段階ではまだ”「それが難しい」と感じて自分を責めてしまっているんじゃないかと思う読者様”に向けて
こういった記事が書けるようになってきたのではないかと思います。


しかしその当時はそれはそれはキツい思いをし、また周りにも酷く迷惑をかけてきました。
いまも尚そんな自分を恥じることはよくあり、また完全になくなることはないと思うからこそ
筆者自身引き続き訓練の日々を積み重ねております。


とにかく、日記には正直に自分の気持ちを書いて、その分「外には出すまい」と
引き出しにでもしまっておけば良いのです。


誰かに見られる危険性がある場合は、忘れず鍵もかけておきましょう。

 

客観視に有効的だった3つの方法その2:録音


これはできる場所や時間が限られますが、ケータイについているボイスレコーダーを使って
電話で誰かと話しているような感覚で、自分の気持ちを録音してあとから聞き直すという方法です。


慣れてしまうと割と平気になりましたが、これも初めてやるときは特に抵抗がありました。


話す内容は日記につける代わりとしてその時の気持ちを正直に語ったり、
誰にも相談できないこと、あるいは演説や面接の練習などなど
多方面に活用できるかと思います。


これを通じて得られることは、例えば話し方の変な癖を治せることです。
筆者の場合、「なんか」「ちょっと」「ない」「でも」等々
自分で聞き苦しくなってくるような口癖があることに気がついたり
自分が思っていた以上に声が小さかったりハリがなかったりといった点を自覚できました。


特に口癖は、意識するだけでもかなり出す回数は減らせるため改善にお勧めです。

 

客観視に有効的だった3つの方法その3:録画


これは3つの中でも筆者的には中々の難関でしたが、他の2つ同様
慣れてしまえばなんとも思わなくなってきます。


最初こそ、思っていた自分とのギャップに「なんだこれは!」とショックを受けるかもしれませんが、
そのギャップこそがより良い自分への第一歩のカギです。


内面的なことは改善までに時間がかかるかもしれませんが、外見だけなら
すぐにでも取りかかれます。


笑顔を意識する、声のトーンを変えてみる、伏し目がちならできるだけ
相手の目を見るようにする、等々
できることから少しずつ変えていけば良いと思います。


一気に変えるのは難しいですが、少しずつなら必ず変えられます。
それは自信に繋がり、変われた自分とそんな毎日が楽しくなってくるのではないでしょうか。


まとめ


自分を客観的に見られるようになる、ということは、幸せに繋がるメリット
たくさん詰まっています。


「自分はダメだ」なんて思わず、あくまでも「分析と研究」を楽しんでいくことが大切です。

日記の習慣から学んだ自分を客観視することの重要性

こんにちは!ほろすけです。


昨日、日記を付ける習慣について軽く言及したことから
日記について語りたい欲に火がついてしまったようです。


中でも、「自分を客観視できるようになった」部分について
今日はより具体的に書いてみたいと思います。


そもそもなぜ客観視する必要があるのか?

筆者が日記を付け始めたのは、小6の時でした。
当時たまたま持っていたお料理ノートか何かの右端に、「メモ」の記載欄があり
何を思ったか、そこにその日の気分やらを3行程度書く習慣を始めていました。

当時はただ書き留めるだけで、特別それ以上のことはしていませんでした。
そのノートもしばらく放置されていましたが、高1になったある日のこと、
部屋を片付けている際にたまたま見つけて、そこで初めて読み返してみました。


その時です。筆者の身に戦慄が走ったのは。


まだまだ純粋で、世間の悪も良く知らないはずの12歳の自分が書いた文章は
マックロクロスケも真っ青の(ややこしい)かなり腹黒い内容のものでした。


どんな内容だったか詳細こそもう忘れてしまいましたが、とにかく
それはそれはゾッとしたことだけは今でもはっきり覚えています。


「え、誰これ、自分?こんなに性格悪そうな真っ黒なこと書いてるの、これが自分??(恐怖)」


これが自分だととても信じられない、いや信じたくない、それくらいの内容が書き綴られていました。
しかしその当時(小6)の自分としては、その日記の中以外に自分の黒さを発散できる場所がなかったのです。友達少なかった&コミュ障だったから…(小声)


このままではまずい…自分を正さねば…


高1の自分は、自分でも知らない間にスクスクと育ってしまっていた内なるピッコロ大魔王を
どうにかして封じ込める魔封婆習得の訓練を始めようと、その日記を通じて決意しました。


しかし自分をコントロールするということはそう簡単に習得できる技ではなく、ましてや
「人に言うべきじゃないのはわかっている、でもどこかに発散しないと自分を正しく律することができない」

そんな理由から始まった筆者の日記は、結局随分長い間、他に吐き出す場所のない愚痴の宝庫となっていました。


良い事に気づけたときや良い事があった時こそ幸せな記録を残しておけるものの、
日記を書きたい欲に駆られる時は、基本的に「吐き出し場所のない愚痴」を吐き出すためのツールとなっていました。


しかし長年のトレーニングを重ね、多くの方との出会いと様々な教えを頂いたおかげで
ようやく日記を上手く使いながら自分の考え方をまとめ、自分自身・そして周りと上手く付き合えるようになっていきました。


それがなければ自分の中の輩がそのまま放置されていた危険性すらあるかと思うと
想像しただけでもまあそれはそれは恐ろしいものです…


それくらい、今の自分にとって日記はある意味「精神安定剤」とも呼べる役割を担ってくれているように感じます。

 

日記が自分の全てではない


自分を客観視するための日記の習慣は、筆者にとって非常に役立つツールとなったのは事実です。
しかしここで一番気をつけておきたいのが、「日記の中にいる自分が自分の全てではない」ということです。


身の程をわきまえて自分をコントロールするということは、周りの人と良好な関係を保つために大切な技術だと感じていますが、
その反面、日記によって自分のダメさ加減に異様に引きずられて、自信をなくしてしまいかねない危険性を兼ね備えているように思えます。


昨日のブログにも書いた通り、過去の自分は常にリセットすることができます。
これは断言できます。

 

人に嫌われるようなことや嫌な思いをさせることを繰り返し、そんな自分をひたすら嫌ってきた筆者ですが
そんな「過去の自分」に引きずられて現在を生きることこそ危険なのだと痛感しています。


とにかく自分の幸せに目を向けることで、自分の内なる輩を押さえ込む。
そこで初めて自分の中に余裕ができて、ようやく他の人に優しく接することができ、そこから正しい行いに繋げられる。それが社会の平和に繋がるんだと思いました。


こんなブログもただの自己満足でしかありませんが、ほんの0.00001%でも良い、どこかで何かの役に立てたら。


ただただその思いです。

断捨離の習慣から気づいた日記の存在の危険性

こんにちは!ほろすけです。

前回、断捨離から受けた3つの恩恵についての記事を書きました。
今回は更に、中でも自分にとって何よりも必要だった断捨離があったことを思い出したので
そのことをお伝えしてみたいと思います。


日記をつける習慣の大切さ


先ずその前にお話しておきたいのが、ブログタイトルにもあります通りのこの「日記を付ける習慣」についてです。


筆者はかれこれ20年、日記をつける習慣を続けています。
短いときは1行~3行、長いときはもう自分の手がロボットになったかのように
留まるところを知らずにダダダダダーーーー!っと書き続けてしまうことも。


元々手書きでつけており、現在もできる限り手で書くようにしていますが
留まりそうにないなと事前に感じる時は、パソコンでワードを使っています。


その甲斐あって(?)ただ今絶賛腱鞘炎です。皆様くれぐれもご注意を…(闇)


なぜそうまでしてでも日記をつける習慣を続けてきたかと言いますと、
過去の日記を振り返ることによって自分を客観視することができるからです。


今日初めて気がついたことがあったとすると、それが自分をものすごく成長させてくれたかのように感じます。
ところがどっこい、あら不思議、次の日になって改めてその「気づき」について思い返すと
感銘を受けたその時の自分が恥ずかしいと思うくらい、「なんでこんな当たり前なことにこんな長い間気づかなかったんだろう」と落ち込まされる。
そんなことが以前は多々ありました。


いまでこそ、そういった現象が起こることですら「当たり前」になり
何も感じなくなりましたが、若い時の自分はまあそんな無知だった昨日までの自分を、恥じて、恥じて、恥じ抜いたものです。


そう、若い時ほど「気づいた自分すごい!」「気づけて良かった!」なんて
自分が大きく成長したかのように変な自信がついていました。
周りの賢明な方達はとっくに気づいて更に更に先へ行っていたことにも気づかずに。


今でこそ、自分が基準なんだから仕方が無い、それに昨日の自分より成長できたならもうそれだけで“今日という日を生きた意味があった”なんて前向きに捉えられるようになりました。


断捨離から受けた最大の恩恵

 

さて、そんな形で日記はめでたく筆者にとって自分を客観視するツールとなったわけですが、
その反面、あまりの自分のダメっぷりに酷く悩まされる時期もありました。


日記を読み返すことは、自分の身の丈を知る良い機会でもあり、
その分「なんてダメな人間なんだ」と思えて仕方がなくなることも
ネガティブ思考だった筆者には多々ありました。


日記をつける習慣、それを読み返して過去の自分を振り返る習慣。
それ自体は今後も続けていこうと思っています。


しかし断捨離を繰り返すうちに気がついた、自分にとって一番必要な断捨離。
それは、「過去の自分」を「今の自分」から切り離すことでした。


良い事も悪いことも過去から学び、自分がこれからどういう人生を生きたいか、どんな人間でありたいか。
それはこれからも形成され続けることであり、過去は常にリセットされていると筆者は考えています。


過去を消すことはもちろんできません。しかし、過去に引きずられて今が幸せでなくなるのでは、過去を生きた意味すらない。


「いまの自分を不幸にするような過去こそ、自分に一番必要な断捨離だ!」


と、断捨離を繰り返すうちに気がつき、そこからまた更に前向き度が増したように感じます。
何もなかったことにする、という意味ではなく、あくまでも「何を学んだか」をプラスに変換する。


迷惑をかけてしまったり、嫌な思いをさせてしまった方に1人1人会って謝罪することはできません。
そのため、これまで出会った全ての方に感謝しながら、これから自分にできることを探し続ける。


ひたすら自分の幸せにフォーカスし続ける。


…どうやらいつもの悪い癖でまた言いぐさが宗教めいてきたので、この辺で自重致します(礼)